vendredi, mars 29, 2013

【光】の使者 ――― ワタリガラス(その2)

ワタリガラス

太陽の欠片を咥え
暖かな日を人類にもたらしたという神話

北欧でもイヌイット(北カナダ)でも、
「この地球(陸と海)をつくり人類を救った」
重要な役柄で登場するワタリガラス。
 

自然の摂理をつかさどる“神”の使者とも
言われているようだ。




ネット上だけでも沢山出てくるが、一部を下に記しておく。


【イヌイット】
 この世にまだ何もなかった昔、一組のワタリガラスの夫婦が存在していた。
あるとき、ワタリガラスの妻の腹が大きくなり、そこから人間の男女が生まれた。
ワタリガラスの夫はそれを見て「誰の子だ」などと妻をなじることもせず、
生まれた彼らが暮らしていけるようにと、海の上にフンを放った。
夫の放ったフンは海を漂い、陸地となった。

 人間はその陸上で生活し、ワタリガラスの夫婦はそれを見守り続けたが、
地上は凍てつき、人間の暮らしは厳しかった。
それを不憫に思ったワタリガラスの夫は、舞い上がって天の一角をくちばしで破り、
そこから太陽を引きずり出して地上を照らした。
そして、太陽の一片を咥え取って、人間に与えたのだった。
 
このときより、人間は火を使うことができるようになったという。

ここまで書いて思ったが先日の「森にみならう(3.22記)」のときに登場したフィンランドの
神話とよく似ている。
そして、きのうの「ワタリガラス(その1)」の話も「森にみならう」の熊(神聖な生きもの)と星野道夫のそのときの態度が繋がってしまった。


【北欧神話】
 オーディンの斥候として、フギンとムニンの2羽のワタリガラスが登場する。
9世紀からのアイスランドへの入植の歴史を記した植民の書で、まずアイスランド島に上陸したフローキ・ビリガルズソンは、目指す島の位置を知るために洋上からワタリガラスを放ち、その飛ぶ方角を見て進路を決めたことから、カラスのフローキと呼ばれた、としている。


それから・・・
【旧約聖書】
聖書では大洪水の際、ノアの方舟にてノアがワタリガラスを放ったという記述がある。
(鳩と一緒に放たれたらしい)


ワタリガラスは・・・
人間の子を宿し、人間を救う為に陸をその糞で造った。
天をその嘴で破って太陽を連れてきた。
ノアの箱舟から最初に放たれた動物である。
などから、(ひとまとめにして)神の使者だと言われたりする。
また、太陽から火を持ってきて人間に渡したというのもワタリガラスが通りがかりの鷲にお願いしたという話もあった。紹介はしきれないが、この黒い鳥はこの世の中に神話とともに生きていることは間違いない。そして日本にも北海道に渡って来る時期がある。これからの季節が鴉の季節だ。




ライブ情報【明日!!足利で・・・】☆☆☆
3月30日(土)
「M-FIELD vol.76」
@足利NEMUNEMU
500円+Drink
open 19:00/start 19:30
出演:
てあしくちびる
田中雅紀
サワダヒロアキ
後藤理絵=Regina〈砂猫女王〉

jeudi, mars 28, 2013

【闇】にかがやく ―― ワタリガラス(その1)


ワタリガラス/Corvus corax :(c)Wikipedia



 ワタリガラス・・・・
 闇のように黒く
 月のように妖しい
 魔術の話をしておくれ
 おまえの後を飛んで行く・・・ 
 (著)デイビッド カーソン「ジェイミー サムズ メディスンカード」の言葉より






ワタリガラスという単語を聞くと
建築家の友人が連れて行ってくれた映画のことを思い出す。
アラスカの神話を語るインディアンの男性。
そして、同時に星野道夫のことを思い出す。

自然を信じる。

どんなことがあろうとそれを貫くというのは、
簡単なようで難しい。
たとえ、暗闇に放り出されたとしても、
恐怖を乗り越えられるだろうか。
道夫はそれを信じていたに違いない。
しかし実際に襲われてきたのは
「自然のなかで育った熊」ではなかったようだ。

自然なら、信じられる。

・・・星野道夫と、ワタリガラスがだぶる・・・


(一旦話は旅します・・・)
3月9日に渋谷リエゾンでイベントを催したとき、俳優でありダンサーでもある福原冠氏に(低い跳び箱なら跳べる名義で)DJをお願いした。
彼は「悪い芝居」という演劇集団の『キャッチャーインザ闇』公演の真っ最中だった。
大阪から戻ってすぐ、これから新潟、そして東京という忙しい最中に引受けてくれたのだった。

そしてその後、東京での公演を見た・・・
イベントが終わってひと段落下したわたしは、桜を一望できるホームに立ってゆるやかに王子小劇場に向かった。ダンス、歌、同時進行する3つのストーリー。
(懐かしい・・・わたしが役者としてデビューした木野花演出の「物語」を思い出した。
あれもかなり役者は体力を使っていたように思うww)
それぞれの役者が放つ、台詞の鮮やかさ。言葉の持つ不明確さ。。。
ポップに見えるけれど全くポップとは言えないテーマだった。
むしろ、わたしには重く思えて、何かわからない暗さを持ち帰った。
それだからこそ、ダンスや歌や役者の持つ「愛らしさ」が必要だったのだと思う。
(脚本・演出、そして座長の山崎彬氏は悪い芝居の挿入歌の詞も手がけている)
懐かしい80年代風の掛け合いが、時代にちょっとだけミスマッチしていて、わたしはその微妙なさじ加減に好感を持った。すんなりお芝居に入っていけた。
反面、自分のなかで後半になればなるほどやっかいさ、処理しきれないものが澱となっていった。
「この世に生まれる」とき“闇”からやって来たわたしたち。
盲目から見えるようになったときのこと。
純真さとそこに漬け込む“闇”との合間で悩み苦しむこと。。。

われわれは、いつでもどこでも闇と背中合わせである。
そして一度そこに入ったらなかなか抜け出せないというのもまた“闇”の特性であるといえる。
暗闇が怖いのは、そのせいなのだろう。

「キャッチャー・イン・ザ・ダーク
 闇のなかで、わたしを掴まえて・・・」(注;導入歌より) ※うろ覚えなのであとで書き直します!



少し前に「闇」について考えていた。
それは「光」のことを考えていると必然なのだけれど・・・。
影ではなく、「闇」のなかでしか得られないもの。

ずっと掴もうとしている。
ずっと探し続けている。

それは孤独でしか得られない歓びでもあり、苦さなのかもしれない。
その苦味を知って、甘さをもっと甘く感じられますように。
けれど本当は怖くて、寒い。。

(話は戻って・・・)
星野道夫が、雪のなかで一人熊と対峙したときのことを思い出す。
死ぬということを怖いと思うまえに「自然」とその厳しさと闘う動物を信じぬいた人。
その孤独に価値があったかどうか、それを知っているのは本人か、あるいは神のような存在しかないのかもしれない。それでも彼は、孤独を怖れない心と躯を持っていたのだろう。
自然は時に“闇”を連れてくるのだ。それを受け入れる強さ・・・彼は強かった。


「闇」でなければ掴まえられない「何か」がある。
感覚の鋭敏さ。
温かいところでは育たない作物があるように、
厳しくなければ甘くならない果実があるように。

ワタリガラスは、闇のなかで光り、七色に輝く。
人知れず、けれども、美しく気高い。
誰にも出来ないことを、その翼と知恵とで実現してしまうというお話。
永遠にインディアンの言葉によって語り伝えられている。

最初のひと羽ばたきを暗闇でするとしたら?
群れから外れて飛び立つとき、その翼に不思議な力を宿しているよう。
自分らしさを風化させないワタリガラス。
伝説として語り継がれるのにふさわしい「生きもの(身近なもの)」なのかもしれない。


ワタリガラスのことは、また書きます。(からす全般も含めて)好きな鳥だから。




ところで・・・
リエゾンで福原冠が居て、お家みたいに音楽をかけてもらってよかった。
リエゾンで「悪い芝居」の音楽監督、岡田太郎さんにも出会った。
その流れで『キャッチャーインザ闇』を見に行けたこと。
やっぱり繋がる場所がどこかに、突然に、現れるんだって、あらためて思った。


ありがとうございました。。。


そして繋がりから、次のライブを故郷の足利でできることになりました。
てあしくちびるのお二人からネムネムさんへ・・・ありがとうございます。
(気合はいります!)よろしくお願いしまっす!!



☆☆☆

3月30日(土)
「M-FIELD vol.76」
@足利 NEMUNEMU
500円+Drink
open 19:00/start 19:30
出演:
てあしくちびる
田中雅紀
サワダヒロアキ
後藤理絵=Regina〈砂猫女王〉


vendredi, mars 22, 2013

「森」にみならう

ファイル:Jonny Greenwood, May 11, 2008.jpg
May 11, 2008/Johnny Greenwood


森の神話を知っていますか?


フィン族の森のなかでもっとも神聖と思われた「熊」の存在は“人々の祖先”とされ、
その名称を声に出して呼ぶことはなかった。
よって熊の呼び方はじつに様々で婉曲に表現されていた。

こういうことは、呼び始めた人のもつ言葉の感覚によるものだと思うのだけれど、
おそらくとても詩的なものであったのではないかな。。。

18世紀まで口で伝えられていたフィンランド神話のなかで、
「この世界は鳥の卵が破裂してできあがった」とされているらしい。


そうなると・・・ムーミン谷は、とても自然なお話のような気がしてならないのね。


北極星が天井の中心で、そこからテントを張る。
それがこの世界であると・・・。


それはまさにサンタクロースとセットである、もみの木に飾りつけるツリーの天辺!
輝く星のリース。。。 (繋がるではありませんか。。)



津波が日本列島の東を飲み込んで、多くの海産物の被害があるなか
牡蠣の養殖の復旧に務めたある一人の海の男が
「森を育てる!そうすれば牡蠣はかえってくる」そういったことを思い出します。



一つのことに集中することはとても大事。
けれど、そこにばかり捕らわれるということは、多くのものを見失うかもしれない。


政治も、経済も、世界情勢も、とても不安定で、不安になるニュースばかり。
(アジアの小国は大国を背に二人羽織みたいに翻弄されている)
しかし、その多くは「他者」のせいにする「誰か」の無責任さによるものだと思う。

その「誰か」は実は一部「自分」である。
たとえば総理大臣を選んだのは「誰か」であって、
その「誰か」を選んだのは「(自分を含む)誰か」であると言える。



ひとつの小さなこと。
ひとつの小さな思い。
それがたどり着くのは「海」である。
そしてそれを最初につくるのは「森」である。

森の一つひとつの「木」は、一人ひとりの「わたし」たちであって、
いつか「わたし」たちの小さな思いは海に流れ着く。

だから、諦めない。
だから、自棄(やけ)にはならない。
だから、考え続ける。
だから、川の流れがきつくてももがいてたどり着く・・・しか、ないのかもしれません。



技術がなくても、積み重ねられれば、それがその手に備わっていくことを願い、
わたしはいま、机に向かいながら予習、復習をしてノートを手に何度も何度も、
繰り返し同じスペルを練習をしています。



冒頭の写真はギタリスト“ジョニー・グリーンウッド”。
この人は身近な「神話」的な存在なのでは?と、勝手に思い貼らせてもらいました。
名前も「緑の木」だしねw

自分の「木」がいつでも生い茂る「緑」の葉をつけるとは限らないけど、
木なら季節によって葉の色も変わって、落ちてまた新芽を出すだろうと思う。

だから、それを諦めず、芽吹くまでの自己管理をしっかりすればいい・・・
よねって、独り言つ。 

一滴はやがて「川」になり、「海」へと辿り着く。
積み重ねれば「橋」になる、という呪文。




ライブ情報☆☆☆
3月30日(土)
「M-FIELD vol.76」
@足利NEMUNEMU
500円+Drink
open 19:00/start 19:30
出演:
てあしくちびる
田中雅紀
サワダヒロアキ
後藤理絵=Regina〈砂猫女王〉

lundi, mars 18, 2013

雑記

あまり器用でないというのを実感する日々。

彷徨いながら折に触れて小さく「よしっ!」と決断を重ねてきたように思う。

なんだかなぁという判断もあったかもしれないが、自分なりにはそのときそのときがいっしょうけんめいであったことには違いない。



節目ってどこにでもあるんだよね。
木の節目だったら、そこから枝が生えてくるってところ・・・



いろいろなことを書きたくなるけど、ここにはあまり書かない。
袋が破けてしまいそうだから、だ。



大好きな友だちが小さな赤ちゃんを生んだ。
それを聞いてとても、とってもうれしい。

わたしにはとてもとても神聖で遠いものに思えるけれど、
こんなにいろんなことで窮屈になっていく世の中であっても
「新しい人」が世に生まれ出てくることに感動する。



一昨年の伊藤比呂美さんのとあるイベントの終った後の会のこと。

ある男性が、わたしが誰かに話していたことを受けて、割って会話に入ってきた。
自分の奥さんは病気で薬を大量に服用しているから子どもが持てないのだと言った。

だから、わたしに「書き続けてくださいね。僕たちのためにも」と言ってくれた。

子どもが持てない辛さって、持っている辛さより理解されにくい。
「わたしは子どもが欲しかったのに、持てなかっただけなのよ」などと言って回ったりしないからだ。
子どもを持っている人の大変さを理解できないのだろうと、他人は簡単に言う。

「持たない」のと「持てない」のは違うわけだから、それを理解しろ、というには無理があるのだと思う。そこは、諦めるしかないのだろうな、と、わたしは思う。
理解されなくても、それはとても苦しいことだって、わたしは知っている。
※「持つ」という表現はしっくりこないが、ここではそのように敢えて書かせていただいた。
 誤解を招くかもしれないが、わかりやすさを優先した。


そんなわけで、わたしはその男性の「奥さん想いの言葉」に勇気づけられた。
神様と約束しなかった自分の魂と躯を呪いそうだったところに、
やっと、やっと、心と躯が開放された風穴が空いたようだった・・・
ありがとう、と同時に、踏ん張らねばならないときがくるのだろうと思った。


それまでも、それからも、
言葉をつづっていくなかで思うことがあった。

いつも「命の息吹」を感じられる、または、そんな存在が見え隠れするといいな・・・
と、思っていた。

人が死ぬ。
人が生まれる。


父や母に感謝する。


昨日はアムステルダムにいる弟みたいなかわいい友人のお誕生日だった。
今日は以前コンピュレーションアルバムでお世話になったDJのお誕生日だ。

ふたりに、いつ会えるかわからない。
遠くであっても、
近くであっても、
いつも、いつでも会えるかどうかなんてわからない。



きのうはいろんなイベントがあったにもかかわらず、
出て行かねばならない部屋から引越しすることや
今日のライブのことで向かえなかった。


しかたなく通り過ぎてしまうことや、
自分の選択しなければならないこと。

心のなかでの決断。
対外的なリスク。


人と人が出会う。
人と人が別れる。



程よい温度になる頃にやっと受け入れられる。


彷徨いながらもみんなが生きているんだということを、
そんなことを・・・今朝の春の暖かさにただ「感じて」いた。



今日はライブ。

わたしの声は近くに届くかどうかわからない。
近くなくても、遠くなくても、
今夜、
あの場所で、
こんな息遣いで、
「挑戦」していくしかないのだろう、と、思う。


このあとの予定は故郷足利にて、3月30日(土)です。

東京では4月に1回で夜中のイベントです。

少しだけおやすみしながら、今はじめたばかりの新しいことや引越しや、
今までのことを整理したり、ときには新しい作品を書いたり、
(まぁ、仕事が立て込んでくる時期ではありますが・・・)
行けなかったイベントやオープンマイクに行ったりしたいと思います。




会える場所で、
また会いましょう。





=================
今夜、渋谷で読むという告知です。

駅が様変わりしているようで、迷ってしまいそう・・・
SLIDER SLIDER vol.1

「SLIDER SLIDER vol.1」
2013年3月18日(月)
渋谷 ラストワルツ
開場18:30 開演19:00
全席自由 ご予約 ¥2,000 当日¥2,500(税込み ドリンク別)

【出演】
後藤理絵
analog set
スズキリウイチ
南場朝海
半バナナ(ミックスナッツハウス)
Last Waltz by shiosai

vendredi, mars 15, 2013

あたらしいおんなのこ

はじめまして
あたらしいおんなのこ

なまえはまだないのね
だれにもふれられていない

異次元の透明なミルクと
異世界の乳白色のベールと
柔らかな握りこぶし

こんにちは
あたらしいおんなのこ

あいたいよ
いとしいよ

ふれられるのはいつなの
だれかとおなじりぼんをつけて

この世で一番きれいな羽と
この世の虹をひとりで掴む
柔らかなてのひら

こんにちは

よかった
みつけたよ

あたらしい匂いのする
あたらしい春をまとって




==================
le mardi 12/3/13
pour mon amie avec mon amor

mardi, mars 12, 2013

「カドウスルミライ」(text)


 

カドウスルミライ ――「時無草(トキナシグサ)」へ捧ぐ

          Regina〈砂猫女王〉words:R.G.・beat:マサキオンザマイク




「ねえ、季節が無くなってからどのくらい経つかな」 



確かにそこに黄色い花が咲いていたと

誰かが言うけど想像するには

頼りない嗅覚と視覚

力ない錯覚「人間失格」



どうするか

カドウするか



ハイ アンド ロー 未来

ハイ アンド ロー 未来

(ハイ から ロー へ)



実験映画、

モノクローム、

廃墟の街はもう既にコラージュ……

3次元のこの瞬間に

寸分の狂い無しに符合してる



どうするか

ここから一秒先

足を踏み出したとき

その土は安全かどうか、

確かめる方法があるかどうか?

 

どうするか

震える手が

背中から一向に剥がれないまま

両の耳には一つずつ

干からびた唇が吸い付く



とめどない流星群の悲鳴

助けたいけれど手は届かない

何万光年先に居るのですか?

ストリーミング・トゥ・ザ・フューチャー



放り出されて、投げつけられて

地面から地面へと

暗闇に架けられた虹の色の次元の高さ

超えられる勇気をカウンターで測る



「ねえ、季節が無くなってからどのくらい経つかな」



どうするか

カドウするか

どうするか

カドウするか

電子音のユラギ



どうするか

カドウするか

どうするか

カドウするか

とめどなく続く不整脈のハリケーン



どうするか

カドウするか

どうするか

カドウするか

真空管のヒメイ



どうするか

カドウするか

どうするか

カドウするか

エレクトリック・ギターも泣いてる



人体実験、

プラカード、

掲げるのはウロコを失った龍の子たち……

カドウするのは未来で

宙辿ってく電話なんかじゃない



どうしよか

ここから見える景色

髪を優しく撫でられた

その風は安全かどうか、

確かめる時間はあるかどうか?



とめどない流星群の悲鳴

助けたいけれど手は届かない

何万光年先に居るのですか?

ストリーミング・トゥ・ザ・フューチャー



放り出されて、投げつけられて

地面から地面へと

暗闇に架けられた虹の色の次元の高さ

超えられる勇気をカウンターで測る



「ねえ、季節が無くなってからどのくらい経つかな」



どうするか

カドウするか

どうするか

カドウするか

電子音のユラギ



どうするか

カドウするか

どうするか

カドウするか

とめどなく続く不整脈のハリケーン



どうするか

カドウするか

どうするか

カドウするか

真空管のヒメイ



どうするか

カドウするか

どうするか

カドウするか

エレクトリック・ギターも泣いてる



どうしよか

鳴り響く盛大なブザー

心臓音を少しずつ低くした

その抑揚は高すぎやしないか?



電気うなぎを媒介に悪さするウィルス

コールドスリープしてミライに到着

果たして、誰が鍵を開けるのか

一人残らず冷凍のヒツギに入ってる



「ねえ、季節が無くなってからどのくらい経つかな」



凍える夜中に

コンビニエンスストアの扉が

オートマチックであることを

笑えるかどうか?



エスカレーターも

エレベータも信じられない

階段を一歩一歩上る

自分の足を信じられる?

ハイ アンド ロー 未来

ハイ アンド ロー 未来

ハイ アンド ロー 未来

ハイ アンド ロー 未来



どうするか

カドウするか

どうするか

カドウするか

心臓音の高鳴り



どうするか

カドウするか

どうするか

カドウするか

果てしなく続く水平線の碧(アオ)



酸素と二酸化炭素の交渉



質問だらけの毎日に耐えられるかどうか

白い蛇が答えを知ってる



稼働する心臓を探しに行くんだ

銀河鉄道の白夜・・・



【拝啓  犀星(サイセイ)さま。

 あなたのトキナシグサは

 今ここに小さな花をつけて

 風にさらされています・・・・・・敬具】




SLIDER SLIDER vol.1

gotorie analog-set suzukiriuichi hanbanana

【出演】後藤理絵、analog set、スズキリウイチ、南場朝海、半バナナ(ミックスナッツハウス)

開場18:30 開演19:00
全席自由 ご予約 ¥2,000  当日¥2,500(税込み ドリンク別)
 予約:rie.goto あっとまーく gmail.com
Last Waltz by shiosai