mercredi, mars 14, 2012

「メランコリア」な日々(映画「メランコリア」★★★★☆)


この映画は、映画館で観て正解だと思った。観られてよかった、そう思った。
監督の実体験に伴って、登場人物の心理描写がうまく描かれている。
主演のキルスティン・ダンストは実際にうつ病であるらしかったし、姉役のシャルロット・ゲンズブールには感嘆した。三人の登場人物の性質や気持ちの移り変わりが、映画という短い枠の中で、あれだけ深く浮き彫られていったのは、今までの監督の仕事があったからこそだと思う。

その、ラース・フォン・トリアーの「メランコリア」を観て、最後のシーンが客席に覆い被さった瞬間。
自分は「居なくなった」と思った。
居なくなった後の静寂はしばらく、身体の中に空洞を残したまま過ぎていった。
どれくらいだっただろうか。
時間というのは、気が遠くなるくらい長く感じることがあるから不思議だ。
誰にも彼にも同じ時間が流れているというのに、自分の中だけでスローモーションになる。
そのスローモーションは、同じだけの長さで余韻をもたらすのだ。
人間の脳の不可思議さ。動作の中の静。暗さの中の目に焼きつく明るさ。

映像から投げられた矢のような一瞬は、長く、深く突き刺さり、やがて身体の中に溶けて消えていった。
これから先も、このような時間を感じることがあるのだろうか。

このように時間を感じたことが、かつてあったことを思い出した。

ある人と出会ったときの瞬間。
正確に言うと、その人が近づいて初めて声が自分に向かってきたときのことだった。
それから、寝ていたか起きていたのかが明確でなかったときのこと。どうやら「幽体離脱」をした?
などという不思議体験のときだった。(何度かあったかもしれない)
あるいは、「あ、死ぬかもしれない」と、脳が反射的に判断したシーン。脳裏に焼きついている。

そのほかにも次から次へと、記憶の片隅で冷凍保存していた時間がゆっくり溶解していた。

この一年というものが、とても長く感じて、やっと3月が来たのか、と思った。

長く感じる、というのが、幸せなことだったらいい。
幸せは長く感じていたい。

けれど、どうやら、そうとは限らないらしい。
私にとって、まだ、その時間の速さは、あまり変わっていないように感じる。

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