mardi, novembre 25, 2008

ペルセポリス★★★★☆



完全に平和ぼけだということに気づかされる。
子供時代から青春期にかけての私たちは、政治で汚職事件があろうとも“痛くも痒くも”なかった。
親が「明日、死ぬかもしれない」なんて恐怖を持って子供を見つめていたとも思えない。
恐怖なんて、小さい頃に味わった記憶もない。子供時代の私の恐怖のレベルとして思いつくのは“虫”とか“おばけ”くらいのもんだった。食べるものも豊富だったし、何か食べたいとか言ってると、おばあちゃんの手作りお菓子(炭酸まんじゅうとか)なんかが出てきたり、それ(炭酸まんじゅうのことだけど)を前に“なつかしい”なんて言ってる母と一緒に(戦争の話が出ても)“そうなんだー、ふーん”なんて言ってその悲惨さなんて知らずにもさもさ食べてた。その炭酸まんじゅうのありがたみさえも大して感じず、外では売ってないなーこれーなんてぼんやり思いながら。ただ、ほくほくとしてる祖母と母と娘の温かな思い出だけだ。(多分、祖母と母は違う気持ちでいたとおもうけど)

戦争に対する意識は、国によって、文化によって、その職業や社会的な立場(階級も含む)によっても異なることは明らかだ。(彼女=主人公のマルジャンは中流以上の生活レベルの家庭の子だったから海外に行くんだが、イランに戻って“幼なじみ”に会ったとき、“ヨーロッパにいるイラン人(自分)”の悲惨さより、“国内にいたイラン人(父母や友人達)”はどれだけの恐怖を味わっていたのかを知ることになる)
そしてそれは、いかなる場合であっても良いものを生み出してはいないということも明らかである。

原作である漫画本は、漫画にして珍しいハードカバーの2冊。テーマ同様とても“重い”。
子供のあっけらかんとした視点とイラン人の思春期の(ちょっと変わりもので裕福な家庭の)女の子が、見聞きしてきたものを率直に描いているのが興味深い。悲劇のヒロインにならずに、そのマルジのキャラクターそのものがまっすぐであるが故に伝わってくるメッセージ。アニメなのに、しっかりと伝わってくる。何かをしなければ!と思いながら何も出来ないのがもどかしい。そんな感情をアニメを見ながら抱いたことは今まで一度もなかったと思う。

lundi, novembre 24, 2008

スピード・レーサー★★★☆☆

まだDVD発売されたばかりの「スピード・レーサー」。とってもキュートな映画でした。
映画館で観たいとおもってたのに、いつのまにか終わってしまっていて残念に思ってたので発売を待っておりました!

この原作は子供時代に大変お世話になった“タツノコプロ”から、私の時代よりさらに古い時代の名作『マッハGO GO GO!』のアニメです。今みると、色とか線の太さとか、かなりおしゃれなマンガではないかと思う。



映画はその持ち味をそのまま活かそうと実写にしてるので、文句無しでキレイ! 
独特のサイケさとCGをウマく演出していて観ていて爽快だ。 もちろん「ネオ」なんだけど、このネオ加減はイイと思う。『ははは〜ん!さすが“マトリックス”♪』と叫びたくなるほどの監督らのアクション魂こもった作品だ!
ジェットコースターに乗ってる勢いで酔います。そ、遊園地に行ったつもりで観てください。

おまけコメントだけど、レーサーXがクール! 最初は絶対に人前でマスクをとらないんだけど、主人公スピード(※変な名前だよねータイトルがそのまま名前ですから。。。)の目の前で初めてマスクをとる。するととたんに顔が「甘く」てイイ! その落差、キャスティングの勝利!
ストーリーそのものはもちろん“マンガ”らしいので、かるーい気持ちで「楽しく」「気持ちよく」なれることは間違いない。
こういう映画には「映画批評」の介入は必要ないね。子供も大人も楽しめる。男の子はもちろん女の子も楽しめるんだな。

口笛と自転車とホットチョコレート


この連休は天気が良いですねー♪
長引いていた「咳」もほとんど無くなってきて復活(カラオケとか行ける)の兆し!
ちょっと塞いでいた事情もあったため、ダーが今日はサイクリングに誘ってくれた。
ほんとは気分はうちにこもっていたのだけれど、出かけて良かったです。

ゴディバのホットショコラはおいしくて、しあわせの味だった。
帰りに買ったムーミンカフェのバケットは小麦と塩のちゃんとした味だった。

久しぶりに、楽しいゆうべ。
ダーが作ってくれたシンプルな唐揚げとほかほかのご飯が異常においしくて、なつかしかった。
涙が出そうだった。
なんだ、私、しあわせぢゃん、とか思ったりして。

mardi, novembre 18, 2008

ブエノスアイレスの夜★★★☆☆

苦みの効いた映画が観たければこの映画も良いと思う。
先日、アルゼンチンの旅人が家に泊まっていたということもあって、アルゼンチン関連の映画を探していたらたまたまこの映画にぶつかった。「ブエノスアイレスの夜」

トラウマになるような体験を持つ人もいるだろう。
この物語の主人公の名はカルメン。彼女はアルゼンチンの歴史の影に隠された被害を負う者。心と身体の傷みを封印して生きた20年とは一体どんなものだったのだろうか。セシリア・ロス演じるカルメン。彼女は私の好きな女優の一人だ。スペイン(&南米版)のジャンヌ・モロー的存在だと勝手に思っている。
歴史は大勢の人の運命を左右するだろうけれど、彼女は拷問を受けたことで女として成熟しなければならない段階でセックスと無縁な女性となってしまった。不幸なのか、幸いなのか、身ごもったまま監獄に。
性に対しての屈折した克服と処理。彼女なりの努力とアイデアで生まれたのが扉越しのセックス。
この描写は非常に面白かった。売春“夫”として登場するのは(またしても)ガエル・ガルシア・ベルナル扮するグスタボ。彼もまた中途半端な今時の青年。それがこの彼女との出会いによって、思いがけなく変わる。
二人は、急変し「扉越し」に恋をする。そこまではとても面白い。
その後、とても悲しい二人になってしまう話。

偶然にも、帰りたくない故郷に戻る姉のカルメンとその妹との関係。危篤の父との関係。母との関係。その3人の関係と姉との距離。描き方はとても納得のいくものだった。妹はカルメンの幸せな姿を最後に、(父母に拷問のことを聞かされていたかどうかはわからないが)なぜ故郷に帰らないのかを探りたかった。嫉妬するほど美しかったに違いない。いつまでも故郷から離れられない自分のことを姉のせいにしていたのだろうというところも後からわかった。
その妹と医者との関係も不思議なものだった(一番理解し難いところ)。
人物の描き方がとてもうまかった。

最後に向かうストーリーは残酷な愛の物語。真実を知った若者が、どう行動するのか、どのような心の変化があるのか。手に取るようにわかった。彼は普通の若者だったに違いない。決して特殊な人物ではなかった。

人間の影は運命を大きく左右する瞬間がある。人にその影響をもたらす発言もある。
グスタボもまた、悲しいトラウマを抱えて人生を乗り越えなければならない。彼に重くのしかかる罪。
抗争の中の暗い監獄でのリンチを受けたカルメン。その人生のそれからと、彼女を取り巻く、家族や全てが某かの影響を受けていた。結局、人が人を裁くことの、抗争の、戦争の爪あとは、深く重く、そして細く長くも残ってしまうということを感じた。

dimanche, novembre 16, 2008

おくりびと★★★☆☆



納棺夫日記を本木雅弘が読んで、いまでは漫画化までされているらしいのですが、全くそんな情報を知らず、昨日の昼過ぎに友人Yと観に映画館に足を運ぶ。

感想。面白かった。・・・だけではあまりに素っ気ないか・・・。
いや、チケットを下さった義弟に感謝!(ほんとはその兄である夫と行きなさいという2枚のチケットでしたが)
一言で言って、映画館に観に行っても(日本の映画にしては)良い映画であると思う。びっくりしたのは、満席で次の回を待って観ることになってしまったということ。(それくらい満員御礼でしたよ!亘くん、すごい!)

それはそうと、本編について。
山崎努はとても良いです。あーゆー納棺夫なら説得力がある!と思った。田舎町で、小さな社会の中で、あのような仕事をやっていくのは近所の人の目から見れば「人の死でまんま食ってる」と言われることも然り、それを承知で、ある程度のあきらめや通過点を幾つもくぐってきた人らしい風采は彼にしかできなかったのではないかと思う。
本木雅弘もすごくイイ。まだ結婚して間もなく、どこに身を置き生涯の仕事をしていくのかを迷っている青年。彼の見るからに真面目な風貌がぴったりの役回りである。のち、天職と思えるほどに化けるその様も真面目で美しい青年だからこそ、死の場面を神聖に彩る技のように見えてきた。まるで「神の使い」のようでした。
他に、余貴美子も良かった!設定にもキャラクターも彼女の作り出した世界を感じた。 
けど、キャスティングにひとつだけ文句がある。H末R子。あの人、今もあれを演技と思っているのだろうか?あのなんとも言えないアイドルの笑顔や作った憂い顔をやめて欲しい。その瞬間を見せられただけで映画が三流に思えてくる・・・(悲)。
でも、きっと製作する側の男達の心をくすぐっているには違いない。ううぅ(泣)。。。それがなおさら悲しくなる。
あぁ、切ないなぁ。日本の映画は“カワイイ”女優がすっかり主流になってしまっている。女優はかっこよくあって欲しいと切に願います!
昔の女優のほうがよっぽどかっこいいのだ。(例えば、原節子とか岸恵子とか、あんな顔は作らなかったと思う!)
日本の映画を語ると、こんなことをつい言いたくなるので、そしてとても熱くなってしまうので、この辺で。
H末ファンの人、まことにすみません。TVやCMではもちろんかわいいので良いんですが、やっぱりフィルム向きではないと思うんです。
ま、しかたないか。。。

さまざまな職業があり、さまざまな現場がある。
昔、ご飯がやっと食べられるくらいの、夢を追っていた時の自分の姿が主役に重ねられた。
いろいろなバイトをやった。いろいろな「役」を演じた。(長くやっていたらもっとたくさんの役をやっていたかもしれない)
その間に、葬儀屋さんのバイトをしたこともあった。この経験は、バイトといえどもとても良い経験をしたと思っていた。
それを裏付けるような映画であったことは確かだ。
職業によって、外側の人間に差別され、偏見を持たれるということもあるだろう。
でもそれは、決して内側から観た判断ではなく、そして責任のある判断でもない。
どんな仕事をしていても、自分を見失わないということ、それに向かう姿勢が確かであることのほうが大事だということをこの映画は伝えようとしている。

dimanche, novembre 09, 2008

バッド・エデュケーション★★★★☆


ペドロ作品の中では、★4つ。というのは、完全に好みって点での判断です。「女性」が登場しない。。。というのが理由の1つ。この監督の作品の中でかっこいい女だったりかわいい女だったりという存在が何かエロティックなものを提供してくれるというのが常であるが、今回はそれを男性に演らせている。
さっき、ノンフィクションと書いて、いまうちのひとに「ちがうよ」といわれたので書き直すけど。フィクションと思って借りた映画(DVD)だったんだけど、見終わった後にまるでノンフィクションのように描かれていたので、すっかりだまされてしまった。それも彼ならではなんだろうなぁ。しかも自虐的だ(笑)♪
例によって、ストーリーも伏せてただ観た感想だけを記し、好きな監督、好きな役者、だからといって評価を高くしたのではないということは断っておきます。

見所は、ガエルが3役(2役)やるというところ。中でも“サハラ”の役。楽しそうに演じているのも良いし、彼は反面「ダサイ」「田舎臭い」ところを持っているというのが素敵な役者だ。顔も表情もイイ役者だが、演技の種類もとても潔くて(ラテン系らしく判り易く、それでいて大雑把ではないところなど)とても好きだ。彼の持ち味が活かされている映画だと思う。

監督の狙い所がまた憎い。
彼は人間の心の弱さを描くのを得意としているが、それが(ラテンの人らしく)とても判りやすくて嬉しくなる。
悲しいけれど、それは宿命ともいえるような“あきらめ”にも似た昇華されたもので、自分自身をさばいている神様を常に思わせる。
こんな状況の中で、人はどう判断し行動すべきなのか?
こんなに辛い状況ならやむを得ないのかどうか?
という自問に、勝てる自分を持っているか、イメージできるかどうか?
などを試されているような。
映画監督という使命を通して、これから観客に何を提示すべきかを良く判っている仕事人だと思った。

samedi, novembre 08, 2008

多事争論の偉業

筑紫哲也の多事争論はもう更新されないのだろうか。
この人の偉業はあらゆる分野に及んでいるため、私なんかが語ることなどなにもないのだけれど、しばらく感じないほどのショックを受けたため、私事としてメモしておく。

彼は死なないと、すっかり信じていた。
私にとって、社会の灯台のような人。遠くにあるけれど、じっと冷静に居場所を教えてくれていたような気がする。
ジャーナリストという職業を、唯一“縁遠い”と思わせなかった人。
都会に来てまだ思春期だった頃、オトナになりたくないと思っていた頃、オトナになることもなかなか良さそうだと思わせてくれた、信じられる大人だった。それも変わらずいつもソコにいて・・・その人が旅立ったことを知った。
大好きだったスターが亡くなった時よりも、ショックである。穴が開いたような力の抜けて行く感覚。
私たちに、論じることなんてし続けることができるのだろうか。
マイノリティを恐れないで発言し続けることができるのだろうか。
医学は進んだとはいえ、まだ財産とも言えるほどの人物を救えないでいる。批判ではなく、不可能なことを可能に変えることはやはり困難なことなんだと、当たり前ながら感じる。

人が死ぬとき、要するに「身体を」失って放たれたとき、魂みたいなものや形跡を、残された人によって凝縮されて、まるで良くなかったことは全部空気中に蒸発してしまったかのように語られる。

そう言えば、5年前くらいだったかな。一度だけ、広尾の駅付近で信号待ちしていたら隣に筑紫哲也が来たことがあった。ぼうっとしていたのに、隣を漂う空気の振動が存在を気づかせた。そう、普通のおじさんであって、普通ではなかった。やはりなにか光を放っている綺麗な人だった。

綺麗な人。形のことではなく、身体を失ったときに綺麗でいられるよう、そのときが来るまで、最後まで気を抜かないで仕事(この世における)をやっていこう。今日は格別にそれを感じる。仕事(使命)を貫くことは並の力では出来ないけれど。。
さて、鉢巻きゆるんでいたので少し絞め直すとするか。