mardi, février 20, 2007

詩の審査

なんの審査かはいいませんが。とにかく、詩をたくさんたくさん読んで、
気が狂いそうなくらい真剣に読んでいます。
本当にたくさんの投稿が集まって、みなさん秀逸です。
私なんて、たいした詩の書けるもんじゃないのに審査という立場が
申し訳ないような気持ちです。
が、才能はいろんな所にあるもので、私は書くよりももしかしたら、
読む方が「才能」があるのかもしれません。
なんか、落ち込むなぁ。
ほんとは、詩がうまくなりたいんです。

lundi, février 19, 2007

前髪の長さ

うっとおしい。けど、そこだけを切りに行くのもなんだか面倒なのは前髪です。
こういうとき、私は時々きります。
本当の好みはすべての髪が同じ位に長いのが良い。それは理想です。
なぜなら、私のオデコは狭い。そして髪が多い。すべての髪を同じ長さにしたら、きっと髪を乾かすだけで1時間。肩こりも今よりひどくなるでしょう。記憶をたどると、思春期には髪があまりにストレートなのでする髪型はワンレングスと、決まっていた気がする。
前髪は、いつも先生が眉毛まで!と、厳しくチェックをして下敷きを頭に沿わせてはかるのだ・・・体育会系の女性の先生。
とっても素敵な先生だったけど、今考えると前髪の厳しさはひどいものだった。
私の中学生の頃は「目のぎりぎりのライン」がカッコ良いことになっていた。「オン眉」という言葉は当時なかった気がする。
確かに、目に刺さってしまうので(特にストレートだと)眉ラインでそろえることは正しいように思う。
それと、幼顔を作るためには確かに顔の真ん中より下に見えるオン眉は若々しいのかも。
前髪の長さって、僅かの数ミリで印象が変わるんだよね。サイドや後ろの長さを10センチ切ったのに、言われるのは「あれ?前髪切った?」だけ。サイドもボブっぽくしてみたんだけど。やっぱり素人なんだし、後ろまでは難しいね。切っちゃったけど見えないところはカンで切った。女の人から見たら「冒険」だよね。多分バレンタインからホワイトデーあたりまでは美容室は予約がいっぱい。
私は、待たされることが嫌なので、自分で切りました。そして自由に段を入れてみました(2週間前)。
さて、2回目。。さすがに素人なので、給料でも出たら行きたいのだけれど、もしかしたらまた切ってしまうかも。。
結構、クセになるなぁ・・・時間も節約できるし、面倒だけど楽しい。自慢ぢゃないけど結構器用。
以前は、他の人を切ることも結構やったけど、最近はオファー無いからなぁ〜。

lundi, février 12, 2007

恋とか愛とか言葉とか

言葉をつづることは、ある種「ラブレター」を書いている時の緊張感ににているきがします。
私的感情を客観的な視野で包み込まなくては成功に導かれない・・ような気がするからです。

先日、たまたまアメリカのラブ・コメディ(映画)が始まったとき、くだらなーいと思いながらも結構楽しんで最後までみちゃいました。例えば、主役のかわいさって重要だと。相手になる女の子もキュートでなければ正直萎えるでしょ?『アメリカン青春ラブコメディー』なのに、最後までみた理由はなんだったのか・・・観客を惹き付ける主人公の男の子と女の子、そしてストーリーがあったからだと思います。(今回はストーリーは置いといて)まずは、「主人公」「主要な登場人物」は魅力的でなければ、というところです。
魅力的に思わせるためには何が必要なんでしょう。
やっぱり、”他人の目“の混在なのかもしれません。そのうえ、ただ完璧であっても“魅力的”にはならない気がします。

そう考えてみると、詩を書くときにたとえ恋が目の前に無くても仮想して書くことは大いにあります。
そこには、架空の(現実なら現実以上の)人物が存在し、文の表に出てこないかたちで会話を交わしキスをするしセックスをもする(かもね)。でも、嘘だらけぢゃないんですよ。それが、嘘だけだったら読んでる人にはバレるし、マスターベーションは見ていて恥ずかしいものでしょ。だから相手はちゃんと登場人物として在るはずなんです。
嘘で固めると失敗するし、そこにはナマの残り香みたいなものが空気中に漂わないんじゃないか、と思います。
乱暴に言ってしまえば、恋愛をしていない人が、恋愛の詩や小説や映画をつくってもつまんないのかなぁ、と・・・

ちょっと跳んでしまいましたが、”自分の世界”を開示するためには「アレンジ」が必要なのかと思います。
そのアレンジの《ヒト匙の加減》が好いと、共感に繋がるのかなぁと・・・

おなじように映画も、原作者の体験に基づいた詩に似た構造をしているのではないかなぁと思ってみる。好きな映画作家、監督なんかは、とくにそういった人が多い気がします。

・・・それができたら、大成功!達成感があります。
見る方も、見せる方も「近づく」とは、このことなのかもしれません。