jeudi, septembre 28, 2006

連鎖する「DROP」現象




 ドロップ

僕は
コンクリートの切れ目を探して
歩き続けた

ひかる水面に向かって
空をみると
「足りない」

とても
ひろいことがわかった

ひかる水面
ひろがる視界
ひろい空

たかい雲
ふかい海
ひろい宇宙

投げる 跳ねる・・

答えは、
「足もとのみずたまりは
いつしか海につながっていく」

星は過去の光
ひかる遠い昔
深いきみの瞳のおく
暗いこの部屋の空気

投げる 跳ねる・・

答えは、
やっぱりここにしかない

生み落とされたぼくらは
この地面と空のアイダに
育まれたことばの
渦のなかに

せかい せいかい
せかい ひろい みたい 
ゆれる 風 
こころ 風 

ぼくたちの揺れる
こころ ここ

なでる 投げる 跳ねる・・

 「ア・ビアント じゃ、またね。」(著/後藤理絵)より



この作品は、私の思い出深い街、中目黒にいた頃を思い出し書いた作品です。
生まれたのは、小山田圭吾による POINT( From Nakameguro )をi-Podに入れて、桜並木の川沿いを歩きながら聞いていた「drop」という曲を聞いて、家まで辿り着くまでに元気を取り戻していたことを、去年のリーディングの際に思い出したおかげです。
リーディング前日、音をお願いしていた市川氏が、私のi-Podに入っていた曲のデータを見て、自分のi-Podにも同じ曲が入っているということで話が弾んで「実はまだ、リーディング用の詩が出来てない」と告白したところ、「だったらこの曲と一緒に詩を書いたら?!」と提案してくれたことがきっかけでした。私は遅くに帰宅しその夜中にdropを聴きながらスラスラと書いてしまいました。まるでこの言葉は形になることを予測していたかのように。

この夏、「ア・ビアント じゃ、またね。」という詩集ができたとき、このすべてのタイミングが一致して生まれる出会いを忘れたくないと、メッセージ付きの詩にしたのでした。他にも思い出深い詩があります。すべて、出会いの、場面の、瞬間を捉まえようとした言葉です。
こんどは、その本を読んで、他の詩ではなく、この「ドロップ」から絵を書いてくれた人がいます。
今日、その古い友人は、東京に来て用事を済ませた後に私にその原画をくれました。

連鎖を起こし続ける「drop」に、あらためて驚きました。小山田氏は、こんな詩を望んではいなかったかも知れないけれど、もしかしたら驚いてくれていて、私も友人の絵に驚きました。「こういう絵ができちゃうの?」と。不思議・・。

本が完成してから、小山田氏にお断りを入れ(ジャスラック申請を済ませ)たのに、まだ送っていないことをふと今日思い出しました。(明日!)そういえば、友人にも渡していませんでした。(失敬)
犬塚氏のおかげで10万部も全国に撒かれている冊子に、宣伝広告してもらったこともあり、ますます人前に出さなければという思いも強くなりました。重ね重ね、ありがとう(感涙)!!

椅子よ、くるくるまわれ


「私は金庫の中で生まれました。息から生まれた水滴が鉄の内側にはりついても、それが透明だとわかったのは、外の世界を知ってからでした。云々。後藤理絵」名言ですね。(おいおい、自分でいうのか♪)

外の世界を知らないと、内側にずっといてはわかりませんよね。でも、内側でもがけば、鉄の分厚い壁であっても叫び続けるというエネルギーさえあれば誰かが気づいてくれるかもしれない。そして、外側からカギを合わせて開いてくれたら、そこから新しい世界が広がるに違いありません。少なくとも、金庫の中でジッとしているだけでは、金庫の中で生まれたような小さな命であれば、息絶えてしまいます。

そんなわけで、私はまたこの一年をふと振り返らねばならない時がやってきたようです。苦しいと思いながらも、苦しみは楽しさに変えて、充満する二酸化炭素の中に、僅かな酸素を求めて、ようやく辿り着きました。
新しい仕事がやってきます。新しい仕事は不安と希望で点滅します。丁度、暗闇から明るい場所に移動する時、目の前がちかちかするように。

思えば、私の椅子はくるくるまわる。いつも席は安定せず、会社の中ではジプシーです。周りから見れば、なんと扱いにくき者。
しかし、憎まれっ子世にはばかるのです。嫌われていたのではないだろう(と思う)けど、最高責任者の近くに位置しておきながら、自分の意思を曲げず、よくもまぁここまで。自分でもあっぱれです。
だから私の椅子はちゃんと彼の方も向くし、送られてくる想いのこもった原稿にもすべて目を通します。そしてときには傍観しながら、自分の原稿も半年かけてまとめ、本にすることもできました(正確には本にしてくれたすばらしいスタッフに恵まれて)。

くるくると、これからもくるくると良く回ることを、錆びない事を祈って、今日の日記とします。
【写真:インドのハンピ村の日没前の風景】

mardi, septembre 26, 2006

古い友人と未来


古い友人からの連絡。
最近、古い友人の情報が入ってくる事が多くなった。

以前、訃報を告げるために、ネットの検索でこのブログを発見してくれた友人がいた。

去年、小学時代の同級生が、私の勤める出版社で本を作った。詩集にばかり気をとられていた私は知らずにいた。出版され、増刷間もなく、自分の両親と会社の同僚から同時に知らされた。彼は、今、2冊めの本を制作している。昔から絵を書く事が好きな人。それを全うしていることが本当に嬉しい。最近は、立場が逆転(?)して、本を上梓した私のことも、励ましてくれている。
そして昨日、彼を通して、また他の友人と繋がることができた。

ネットは昔の関係まで甦らせてくれる。

彼女の日記。「夢を果たした」ことになっていた私。
さて、果たしてそうなのだろうか。と、自分に問いかける。

だけど、(期待を裏切る訳じゃないけど、)「成功」を手にしたという事実も実感も、本当のところ、覚えが無いんだ(ごめんよ)。
古い友人を裏切らないでいたいのだが、本当に欲しいものは手の届かないところにありそうだ。
そして、また私はソレを遠くに見つめながら、少しでも近くに行きたいと願っている。
これからも、そうなのかな。いつまで続くのかな。

夢が現実になるときは、夢は夢のままではなくなって、現実になったとたんに新たな夢ができるからなの?!
わからないけど、いつまでも追っているような気がしてならない。

夢は常に遠く。現実は、時間が経たないと理解が出来ない。不器用な人間だなぁ。と、不憫に思う今日この頃。
ネットで未来でも占ってみようかと思ってしまう。

写真は、幼なじみのいぬづかさとし(絵)の「0.6のおくりもの」
さて、0.6とは、なんだろう。小数点のつくこの数値はわずか。プレゼントにしては、重い数値です。懐かしくて、あったかい。秋の夜長に開いて欲しい絵本。

dimanche, septembre 24, 2006

まぼろし


  
ひとしきり
みずたまり
こおったひかり
みつけたり

すなのおかわり
ままごとあそび
とんぼの宙返り
ずっとまえの秋

とおい昔の光
あつめたつもり
未来のあかり

いまのほんとは
いつかのまぼろし

vendredi, septembre 22, 2006

【報告】9.21詩と音楽とダンス@アサヒアートスクエア

この公開リハーサルは、興味深い。
出演者側で、メールにて各々が構成を加え、持ち寄ったものに、観客とスタッフがさらにシャッフル。

ダンスと音のコラボ中に、舞台上で詩を書くという作業も公開。
後半も岩渕さんとJOUの舞を横目で見つつ、イマジネーションを言葉に。
これはとても楽しい。多分、まだ谷川さんもやってないだろうと思うんだけど、どうかな。


真酎の音は、バンドネオン、親指ピアノ(カリンバ)、鉄琴、その他・・

JOUの言葉の間の手も、面白いものだったので、次回、真面目にテキストに起こそう!

舞台上で「金魚とお祭り」「つま先の女王」の2作が。直前に「たそがれ色のあさひ」。全部で3作できました。
「ア・ビアント」からは「秋のプール」「ドロップ」「トランジスタ的衝動」「焼き菓子の致死量」を。

課題も多いので、また次回に。(いつのことやらわかりませんが)

  • コミュ書き込み


  • 【出演】JOU(踊り)、松本充明(音楽)、後藤理絵(詩)
       《後半/特別出演:岩渕貞太(踊り)》
    【日時】2006年9月21日(木)
  • Event Cast


  • 9.21情報

  • アサヒアートスクエア《MAP》
  • lundi, septembre 11, 2006

    ...9,10,11 遠い空

    朝のラッシュ
    霧のかかった空の上

    低空飛行で
    このジャングルの
    ゴムの木の幹に突っ込むなんて
    思ってもみなかった
    誰も

    鳥よ
    その使命は
    神から与えられたものなのか?

    人間よ
    愚かな指令は
    遂行する前に
    考えられる動物に
    運良く生まれてきただろう?

    彼は
    遠くの空の下で
    カレンダーを指折り数えていた

    私は
    命の数分の一だけに火を灯して
    遠い心のあの人の帰りを待った

    母の生まれた日
    愛する人の生まれた日

    それを祝っている矢先
    くちばしがのどをつく

    涙で皮膚がこぼれ落ちる
    埃まみれの残暑

    dimanche, septembre 10, 2006

    手当と体温

    憧れの・・象さんとのしばしのコミュニケーション。暖かい。足が乗っている場所は肩甲骨なので、前足が動くときにコツリ、コツリと動く。(ビーチサンダルは脱ぎました。)
    一歩が大きいからゆっくりでもいいのだ。
    途中、森に入ってゴムの木のところで本物のゴムの材料になっている樹液のかたまりで指輪。
    彼の名前はボンジュール(Bonjour)。穏やかに見えて気が短い。
    バナナをプレゼントしている最中に、1つずつあげていたら「はやくぅ」といってカゴごと持っていかれちゃった。すごい力で・・
    出会いの感動、でもさようなら。Bonjourよ、A bientot...(って、へんなの)
    余韻さめやらぬまま、連れていかれました。タイの人たちが勢揃いで、サワディッカー・・笑顔に囲まれる。ここはたぶん、極楽(マッサージの館)。
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    名残惜しさに海追いし その二

    ピピ島で夢を追いかける人々(大きい人、小さい人)
    魚・・熱帯色なオコゼの仲間?。
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    samedi, septembre 09, 2006

    mardi, septembre 05, 2006

    塩と潮( short & short )



    珊瑚が足にキスをしたので
    私の両足にはマークが
    残されている

    潮に浸しっぱなしだったせいで
    陸にあがってからも
    塩を欲している

    だから今日も
    バスには
    シュガーじゃなくてソルト
    真夏のハーブ入り

    青くならない水の底
    指と足首に
    英字表記の瓶の塩が
    ミネラルというから
    なお、むずかゆい

    こげた指先には
    白いビーチサンダルが
    まだ挟まっている