dimanche, août 06, 2006

小説家の妻を持った俳優/ある詩人の話


昨夜、シネフィルイマジカ(スカパー)で”赤いアモーレ”を鑑賞。ペネロペと共に、主役でありながら脚本、監督をこなすセルジオ・カステリット。なかなか興味深い表情で、余分な事はしない俳優としての良い仕事をしている。セルジオの妻で作家であるマルガレート・マッツァンティーニの作品、イタリアのベストセラー小説『動かないで』が原作であることを、見た後に知った。
衝撃的であり、正直こんな物語には嫌悪感さえある。けれど、役者のエネルギーと監督のセンスによって見事にストーリーを描いている。
カステリットも、マッツァンティーニも恵まれた環境でこれを発表する事が出来たのだと思う。
実際にスペイン人のペネロペを起用したことは、イタリア語をマスターしたという話題性もあっただろう。そうでなくとも彼女を起用するということは困難だったろうと思う。様々な良い出会いが作用して生まれた作品らしく、賞賛も多かった。邦題こそ滑稽で、今ひとつ見る気を失っていたが、久しぶりのイタリア映画のヒット。満喫した。

今日は、ドイツ文化センターにて谷川俊太郎氏の話を聞きに行った。詩人の、それ以前に人としての興味もあり、参加。(http://www.pub.co.jp/school/coza/poem6.html)彼も恵まれた境遇の人物だ。なにより三好達治の推薦があって詩壇の世界に導かれたということ。彼に浴びせられる沢山の質問。それは、本当の質問ではなかったように思う。意地悪な質問には、意地悪になってみることも大事。彼の詩を彼が読んでみたとき、その温度は詩の温度を保って発せられた。それが何よりも衝撃であった。
私の父(元国語の教師)は、谷川さんに興味がない。けれど私はそうでもない。熱狂的なファンにはなり得ないと思うが、詩の持っている温度がわかるとき、その詩の向こう側にある谷川さんが好きになる。ときどきだ。それでいいと思っている。
幼いとき、中原中也の詩に大きな衝撃を受けた。萩原朔太郎の言葉に、人生にはとてつもない深い悲しみがあるのだと気づかされた。
孤独であることを共感する言葉たち。今日、谷川さんは「一人っ子で、孤独になれている」と言っている。

話は飛ぶが、彼は今日昼が良いと言っていた。私も太陽が好きだ。きれいに出ている月には祈りたい気持ちになるが、いつまでも陽の下で解放されていたいと願うし、夏にはスイカが食べられてなおうれしい。音楽も芸術もラテンの力には時々グイッと引っ張られる。

たとえ、世界の何処かで争いがあったとしても、太陽の下、みんな同じように陽の光を浴びて、みんなが笑顔一杯で、
そうしていつまでも平和が続くようにと願っていたい。願い続けたい。

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