lundi, décembre 11, 2006

映画日和

先週は「海を飛ぶ夢」、今週は「タッチ・オブ・スパイス」という作品。
このところ見る映画に当たっています。

私の大好きな映画で「夜になるまえに」という作品があるのですが、その作品に主演しているハビエル・バルデム が「海を飛ぶ夢」の主演をしていました。やはり彼の演技はすばらしかった。
役者は演りすぎないほうが私の好みで、(ラテン系でありながら)彼の抑えた演技には目を見張るものがあります。
原作者の体験そのものであるドキュメント映画。美化されてしまうのは常ですが、役者による解釈は重要です。
「死にたい」その希望は、欲求は、どのように叶えられるのか。考えさせる”尊厳死”。そもそも”尊厳”とは何か。。

「タッチ・オブ・スパイス」。舞台はギリシャとトルコ。抗争により離ればなれになる家族。祖父と共に暮らした時間の長い少年には、スパイスの香りと共に甘く辛い切ない思いが描かれる。人生には「スパイス」がつきものである、それは料理と一緒。確かに。。美しい風景とは裏腹に宗教や国家間によって関係を裂かれた人々。巻き込まれたまま行方知らずになった想い。http://www.gaga.ne.jp/spice/

人生。死。生きている間は、必死になっていろいろなことを考える場面がある。死に向かっている私たちにとって「あきらめる」べきなのか「けっしてあきらめない」べきなのかを考えさせる。そしてその決定は「死ぬため」か、「生きるため」か。
映画は私たちに多くを語りかけてくれる。だから、やっぱり映画はすばらしい。相変わらず大好きだ。

そういえば、藤子不二雄の「まんが道」の再放送を一気に15話みたけれど、その中で主演(竹本孝之)は、映画館の隣で、始まりの
サイレンの音にいつもわくわくしてるというシーンがあったな。大好きな漫画さえも手につかなかったという。。。
藤子不二雄の有名な漫画作品のネタは、きっと多くの映画から生まれているに違いない。
どんなにメディアが氾濫していっても、映画と本だけは無くならない気がする。

lundi, novembre 27, 2006

になると。
夏の3分の一しか行動できなくなる気がしてしまいます。
どうやら夏とか熱いとかが大好きな性分。そして猫舌です。
あ、ネコ科かもしれません。

風邪の「熱」は苦手です。
外に出ると風が冷たくて嫌です。
肩が上がって凝りますし。。

冬が通り過ぎていくのをじっと待っています。
ただの風邪ひきのヒトリゴトです。

mercredi, novembre 22, 2006

ルドのさようなら(a bientot)パーティー

今週の土曜日。
ルドがフランスに帰る前にみんなでその門出をお祝いします。


*** ルドのさようなら(a bientot)パーティ ***

日時:11月25日(土)open 19:00
   
会場:VIVE LA VIE(ヴィヴラヴィ)
   VIVE LA VIE/map
   VIVE LA VIE コミュニティ
   渋谷区渋谷2-4-6サンゼンビルB1
   TEL&FAX 03-5485-5498
参加費:1500円(1ドリンク+軽食付き)


〜電子音楽と映像パーフォマンス(start 20:00~) 
音楽:mjuc+Uwe Haas
   Legofriendly
映像:Michi
   Ludo Xasdera
詩の朗読:後藤理絵


とてもすてきなお店です。
ぜひ来てね。
お待ちしております。

mardi, novembre 21, 2006

報告☆「 JET POET Vol.10」 〜即興の音楽と詩の朗読の宴〜

出会いはいろんな場所にありますね。。。

リーディングは
文字と普段発することばの間に摩擦を生みだす力がある
と考えます。
そういう、音になったことばの、音と交わることばの
狭間にいられる幸せをかみしめます。

オーナーでもあるZULUさんは、詩を幾つか読んだあと
この企画がもう10回目になり、
その始まり「なぜ、この場を設けようと思ったか」を、
最後に話していました。とても感動し、また共感しました。

世界は近い。

日本語で、たまたま表現しているけれど、リーディングは
イスラエルからのアナトさんも読んで、(意味がわからなくても)
空間を通して、何かを発してくれて届いていることを感じました。

先日、ある賞に応募した話をここに記したことがあったけど、
昨日久しぶりにあったケイコさんが、励ましてくれました。

西田さんの詩は衝撃で、開かれていることばとパフォーマンスで
多くの人に届いていたことを感じました。

即興の音が、心地よく響きことばと交わる空間。
それぞれの出会いに感謝します。


それから、mana.来て楽しんでくれてありがとう。
&夜中にお邪魔しました♪

ルド。仕事で来られなくて残念だった、
「焼き菓子の致死量」を例の同時通訳詩やりたかったんだけど・・
また、いつか日本に来たときにやろう!

☆読んだ詩
「バスと満月」
「ジグソーパズルとカードゲーム」
「6/9」
「20e」
「きみと、宇宙から落とされたぼくと、そして星条旗」
(後半2作は詩集『ア・ビアント じゃ、またね。』より) 
   ・・・全5作品
●●●●●●●●●●●●●●

「 JET POET Vol.10」 〜即興の音楽と詩の朗読の宴〜
JET ROBOT 東京都渋谷区神宮前1-19-11(原宿アッシュビル1F)
朗読
○後藤理絵 "A bientot" @ Creater's World 2
○西田夏奈子mixi.jp/show_friend.pl?id=81318
○ケイコmixi.jp/show_friend.pl?id=780880
○アナト・パルナス@イスラエルwww.baubaunet.com
○ZULUmixi.jp/show_friend.pl?id=2861855
演奏
○モリシゲヤスムネ(cello) www.morishigeyasumune.com
○ダミ(アコースティックベース)mixi.jp/show_friend.pl?id=3556540
○川上豪士(ウッドベース)

mardi, novembre 07, 2006

落選

しました。

ある好きな詩人の名前がついた賞。
それをめざして作った本ではないけど、
「本」でなければ応募できないという賞。

それにしても・・せめて「落選」のお知らせはがきだけでも
届いてくれるといいなぁと、思います。
「がんばったね」または「がんばってね、つぎ」って
言って欲しいじゃん・・・

「賞」がすべてではないし、それを目指して作品を書いているってわけではない。
けど、だれかに褒められるってうれしいものよ。
それも、予想外に褒められるってことが・・・
だから受賞した人、おめでとう。きっと、純粋に嬉しいと思う。

試練のミチは、相手があることではなく、自分の中にあるんだな。
長いミチになりそうだ。

詩壇の塀は高いんだろうな。
私はまだまだ、そういった人たちから「詩人」だなんて認めてもらってないだろう。
「詩人」でなくても、そう呼ばれなくても書いていたらそれでいいのかもしれないけど。

遠い。。

詩をかくことも、詩を読むことも、ほかの人の詩を聞くことも、好き。大好き。
これが一番、重要なのかな。今は。。
さて、また詩を書こうかな。

血のにじむような、
汗をかきながら、
涙をながしながら、
ほんとうのことばを、
見つけたい

lundi, octobre 30, 2006

江戸川橋からにゅるり
























うちの近所には由緒ある「う」と書いたうなぎの老舗がある。
ダーと一緒に近所をサイクリングしたときに半年くらい前にみつけたお店。
(実はこの店が老舗で、作家や出版社が良く使っていたということは後から知った。)
「行きたいなー」とは思いつつ、つい派手めの「神楽坂方面」に足が向いてしまってなかなか辿り着けなかった。
しかし先日からどうしてもうなぎが食べたくなって、友達を誘って予約に踏みきった!

「はし本」(ひとブロック先には「石ばし」がある)。
並で十分。文句無く「美味しい!」「さっぱり」だった。ご飯がつやつやで美味しかった。おばちゃんはとっても優しくていいキャラ。
帰りに勝手口にお行儀良く座って余り物を狙うのら猫くんが居た。彼もうみゃーと言っていた(ような気がする)。

その近くのお花屋さんで「黒松」のミニ盆栽となんだっけ紅葉している小さな木、それからチューリップの球根(一個50円)を幾つか購入。少し行くと凸版印刷にある印刷博物館へ。今回は「ドイツの美しい本」たちをみました。これは「本と」に勉強になった!

この辺は、本にまつわる歴史がころがっているらしい。うちなんて、江戸川乱歩の住んでいた敷地らしいし、夏目漱石は相馬屋という文具店で特注の原稿用紙を・・・そういえば「たつみや(神楽坂うなぎや)」も、ジョンとヨーコが行ったらしいよ。ってちょっと本から離れた。。。

その後は・・・マッサージで仕上げ。
もう、にゅるりとなった日だったよ〜・・・ゆき、楽しかったね サンキュ♪

dimanche, octobre 29, 2006

サジの投げ方

サジをなんども投げかけた

器用でないから
うまく投げることが
できなかった

サジをなんども投げかけた

近くの飲みかけの
冷めたお茶を
かきまぜた

ふるい傷のむねの
もっと奥がうずをまいている

悲しくなって
サジが投げたくなった

寂しくて
サジを舐めている

味は無くて
とても冷たいプラチナ製

samedi, octobre 28, 2006

PODCAST で、朗読

を、のせてみました。
時間があったら、ぜひ聞きかじってみてください。
まだ、試運転中なので、誤字脱字もあり、おかしなことになっています。。
間違い探しや、ご感想をいただけるとなお、うれしい。。。

A bientot "CW2サイト”

mardi, octobre 24, 2006

携帯電話が旅立ちました

キャー・・・
瞬間。とっさに手は伸びたけど、間に合わず。。。遠くに旅立ち、影も形もなくなりました。
この日記をご覧の方は、ぜひ、私にメール(連絡先)をください。
このHPトップからプロフィールに入って頂けるとGmailにて届きます。
どうか。。どうか。。よろしく。。

dimanche, octobre 22, 2006

E・ゲバラと赤ちゃん

一年くらい前から見たかった映画をようやく見る。モーターサイクルダイアリーズ。

ゲバラは普通の、いやちょっと賢い青年だった。偉業を記したものではないと何度も語る映画「モーターサイクルダイアリーズ」。ゲバラの思いがけない旅の体験がやるべきことの発見をすることになった。なぜ、医者を目指していた青年が革命家になったのかを遡って辿るストーリー。環境が、体験が人を変えていくということ。特殊なことは何一つ描かれていない。(この場合の「特殊」とは奇を衒ってはいないという意)

もう1つ、赤ちゃんの能力についてのNHKスペシャルを続けて見た。人間は生まれて間もなくすごい可能性を秘めているんだということがわかった。
しかし、人として機能して、環境に慣れていくために、沢山のシナプシスを殺しながら新しいシナプシスを誕生させている。それが、果たして良い事なのか悪い事なのか。そして直接、人と触れあわなければ発達しない能力があるということも。。

ゲバラは少し育ちの良い青年だった。かわいい子には旅をさせろ。医師になる道を支援していた両親が、旅を許して、最後帰ってくるまでの間、じっと青年の帰りを待つ。「何か」を掴んで帰って来た青年には、何やら強い使命感がみなぎっていたに違いない。
正直な、そして命の力を感じる瞳。明るい未来を見つめながら、現実から目を背けない姿に深い感銘を受けた。
やるべきことを見つけた人間は強く、そして美しい。

こころ/こおろぎ

さみしさは
だれにでもあるだろう
かなしみも
かかえきれないこともある


そんな思いだけならセンチメタルで、まだ救いようがある。
私はひねくれものだ。そして、気持ちを表現するのもかなり不器用な人間だということもときどきあることに気がついてはいた。こと身近な人にはなおさら・・。
とくに、この数日、私は何かに追いつめれていた。

肩から腕の痛みは少しではあるが回復に向かっているように思える。激痛だった時は何も考えられなかったのに、少しずつ収まってきてはいても、何かをする毎に感覚のない右手の人差し指と中指に、「手から滑り落ちるもの」をふと見てしまっては、自分の不甲斐なさに腹が立つ。それが、何に集中していても起こるので、そこで途切れる。いらだちはいつのまにか、焦りに変わった事を、今更ながら気がついてしまった。

悔しい。
ただ悔しい。
悔しいことなんか、いっぱいあるはずなのに、行き場が無くてもだえる。

こんなときに、悪い事ばかりを連想する事もやめた方がいいことはわかっているのに、こんなときに限って悪い事の連鎖はやってくる。
夜中、手の痛みで起きると、突然、長い間愛し続けているペットが(歳をとってしまっているので)亡くなってしまうのではないかという不安や、田舎にいる両親や旦那さんの両親が元気でいるだろうか。とか。祖母は、今頃どうしているだろうかとか。兄妹のこと。赤ちゃんの事。最後に、自分の影が薄れていくような、ばかばかしい環を作り出す。

都会のこおろぎは、どこにいるのだろうか。
とつぜん、夜中に彼らに出くわしたときのことを思い出す。
いつも一匹で夜中でもじっと何かを見つめているようなこおろぎが、いま目の前に居てくれたら。きりぎりすが蟻に諭されるという物語があったが、こおろぎは仲間だろうか。どうでもいい、いまこうろぎにさえ慰めてもらいたい。

「甘え」たいんだってこともわかっている。
ただ、がんばらなくて、いいんだって、言って欲しかっただけなのかもしれない。

vendredi, octobre 13, 2006

詩を沢山読みました。
中には、詩ではないのかも?と思えるものも。

思いと技術。
バランス感覚。

かなり緻密に書かれていても、気持ちに呼びかけてくれないもの。
技術が云々というよりも、そのエネルギーが何のためらいもなくほとばしるもの。
この場合、多くの人の心に響いたりして最後まで残ります。

技術よりも力。
それはやはり「生命力」なのかも知れません。

美しく、完成された綺麗さより。
少々荒々しくも輝ける綺麗さに、惹かれる。
それは、やっぱり「命」の、「魂」の綺麗なもの、なのかも。。

mercredi, octobre 11, 2006

決めなければいけない

さあ、素敵な原稿が沢山。
箱一杯の原稿が2箱。
この中に今回のもっとも優秀な作品として選ばれます。

でも、ここには沢山の思いが詰まっている。
そしてそれは、とても比べられるものでは無いのです。
そこは一番心得なければならないところ。

応募して送る姿勢。客観視できるそのバランス感覚。
コンセプト。独りよがりではなく社会性もあるもの。
などなど、それらの条件をクリアしてトップに出るのは
一体。。。と、わくわくする反面、同時に罪悪感もあります。

なぜなら、最終審査に残るだけで、やっぱりすばらしい作品が多く、
審査員たちも、甲乙つけがたい状況であったとしても、決めなければ
ならない、苦渋の選択をしていることも、あるんです。

しかし、取りこぼしてはいけません。
そのマエ段階にて、私は紙一重であるこの詩の言葉の世界を
見落とさないように眼を見開いて居続ける必要があります。この時期。

楽しみな反面、かなり緊張します。

苦しみながら1位に選んだ後で、その下の作品の方がもしかして良かった
のではないか。。と思う事も、いまだにあります。正直。

だから、その近くの枠に入っただけでも、十二分にすばらしい作品と言える
のです。残念だけれど、それこそ運としか言いようの無い決着もあるんです。
なんでも、そうですよね。

ああ、ココまで書いといて、やっぱりこの時期の私の肩の荷は重い、気がする。
でもそれだけ信じてもらえているということなんだろうな。
期待に出来るだけ答えなくっちゃ。がんばります。

dimanche, octobre 08, 2006

新しいこと


















新しい原稿を読み込んで、その才能に触れる。惚れる。
新しい本になることを夢見る。
本になるのは、現実になる。
それが私の新しい仕事。
読んだ詩たちが新しい読み手に届きますように。

新しい声を聞く。
声は透きとおって誠実だった。
いつか、珈琲カップを囲んで会える日を約束する。
新しい言葉の仲間なんじゃないかと想像する。
語らったことがまた、新しい言葉を生みだしますように。

古い事をすこしだけ気にして、
新しいものを入れてかき混ぜる。

友達はいつでも友達。師はいつまでも師。
繋がった瞬間から、新しくても古くてもそれはいっしょ。

(写真は、パリの国立自然史博物館 le Muséum national d'histoire naturelle
映画:「ラ・ジュテ」や「12モンキーズ」を思い出す・・・)

vendredi, octobre 06, 2006

こんな時間に

起きてしまった。

明日、いや今日、大切な審査があるのに。
しかも夕刻には久々の「ゆき&みえ&あすか」とのお食事会。
そして24:30@NHK:POPJAMを見届ける予定なのに(ウチのビデオ御愁傷様です)。

理由は腕と頸椎の痛み。

長い文は打ち込めないけど、こんな時間に変な夢まで見てしまったので日記をあげています。
いやー「神経痛」って言われた時はぶっ飛びました。イメージだとどうしても年齢がぐっと高い人がなるものだと。
でも治るとは、思います。今は右の腕にテープなどで補強。
ボールペンで字がうまく書けません。へろへろになってしまいます。字が笑ってしまう。
まだましなキーボードもナカナカ思うように動きません。特に右薬指と小指。こんなときにもこの二本の指は、微妙に動いていたんですね。

このところ、整骨院に行くのが日課です。
少し前まで首が右に曲がらなかった。それはちょっと良くなった気がします。三叉神経の痛みも減ったし。。
先生は「頸椎ヘルニア」かも知れないなんて脅します。ひえー。。あれ?ヘルニアって、腰だけじゃなかったの?!
整骨院では、友人が待合室にいました。びっくり。彼女も長いこと腰痛に悩んでいるらしかったので少し前に紹介してありました。
互いに仕事が忙しいのに、こんなところで出くわすとは。。

頸椎ヘルニアとは、事故にあった事がある人や強い衝撃を受けた人がなりやすいらしいのですが、TVCMなんかでやっている《イタタタタ〜》というポーズに稲妻のアニメや画面が白くなるような絵を思い出します。ほんとうに、ほんとうにあの稲妻のような激痛が走ります。激痛で寝付きが(益々)悪いです。そしてタイピングがうまくいきません。これ、字だともっと深刻です。
せっかく編集をするというのに、ここで身体の障害を訴えては仕事がはかどらん。何よりも、このタイミングでこんな痛みは経験したくはなかった。

しかしおかげさまで、いろんな事がわかりました。何でも「きき手」でやっていたんだなぁとか。身体のどの部分も大事な役割をもっているんだなぁとか。どこかが不自由な方がいらしたら、出来る限りお手伝いしようとか。父母のコトを大切にしようだとか。(苦笑)
そういえば昔、祖母が膝が痛んでトイレに行くときに冗談なのか本気なのか「りえちゃん、かわりに行って来てくれ〜」なんて言ってたな。どうしてるだろ。

こんな時間に、痛みで目が覚めたので覚え書きとして記します。

数時間前、NEWS23 で筑紫哲也が「戦争」という文字をテロップに書いて話していた台詞をふと思い出しました。
「人間というものはそれほど利口に出来ていない。経験をしたにも関わらず同じ事を繰り返してしまうことが多々ある。だから愚かな戦争を繰り返す歴史がある。直接的に経験していないとなると、もっと愚かな事が起こってしまう可能性がある。云々」と、我が国の若い総理に対しての不安を淡々と語っていた。
「喉元過ぎればナントやら」、人間の曖昧な記憶。忘れてまた、無謀な事を繰り返す動物でもあるのだ。
大雨の音と湿気に、神経を痛め敏感になっている身体に、鈍い考えが横切る朝方。

jeudi, septembre 28, 2006

連鎖する「DROP」現象




 ドロップ

僕は
コンクリートの切れ目を探して
歩き続けた

ひかる水面に向かって
空をみると
「足りない」

とても
ひろいことがわかった

ひかる水面
ひろがる視界
ひろい空

たかい雲
ふかい海
ひろい宇宙

投げる 跳ねる・・

答えは、
「足もとのみずたまりは
いつしか海につながっていく」

星は過去の光
ひかる遠い昔
深いきみの瞳のおく
暗いこの部屋の空気

投げる 跳ねる・・

答えは、
やっぱりここにしかない

生み落とされたぼくらは
この地面と空のアイダに
育まれたことばの
渦のなかに

せかい せいかい
せかい ひろい みたい 
ゆれる 風 
こころ 風 

ぼくたちの揺れる
こころ ここ

なでる 投げる 跳ねる・・

 「ア・ビアント じゃ、またね。」(著/後藤理絵)より



この作品は、私の思い出深い街、中目黒にいた頃を思い出し書いた作品です。
生まれたのは、小山田圭吾による POINT( From Nakameguro )をi-Podに入れて、桜並木の川沿いを歩きながら聞いていた「drop」という曲を聞いて、家まで辿り着くまでに元気を取り戻していたことを、去年のリーディングの際に思い出したおかげです。
リーディング前日、音をお願いしていた市川氏が、私のi-Podに入っていた曲のデータを見て、自分のi-Podにも同じ曲が入っているということで話が弾んで「実はまだ、リーディング用の詩が出来てない」と告白したところ、「だったらこの曲と一緒に詩を書いたら?!」と提案してくれたことがきっかけでした。私は遅くに帰宅しその夜中にdropを聴きながらスラスラと書いてしまいました。まるでこの言葉は形になることを予測していたかのように。

この夏、「ア・ビアント じゃ、またね。」という詩集ができたとき、このすべてのタイミングが一致して生まれる出会いを忘れたくないと、メッセージ付きの詩にしたのでした。他にも思い出深い詩があります。すべて、出会いの、場面の、瞬間を捉まえようとした言葉です。
こんどは、その本を読んで、他の詩ではなく、この「ドロップ」から絵を書いてくれた人がいます。
今日、その古い友人は、東京に来て用事を済ませた後に私にその原画をくれました。

連鎖を起こし続ける「drop」に、あらためて驚きました。小山田氏は、こんな詩を望んではいなかったかも知れないけれど、もしかしたら驚いてくれていて、私も友人の絵に驚きました。「こういう絵ができちゃうの?」と。不思議・・。

本が完成してから、小山田氏にお断りを入れ(ジャスラック申請を済ませ)たのに、まだ送っていないことをふと今日思い出しました。(明日!)そういえば、友人にも渡していませんでした。(失敬)
犬塚氏のおかげで10万部も全国に撒かれている冊子に、宣伝広告してもらったこともあり、ますます人前に出さなければという思いも強くなりました。重ね重ね、ありがとう(感涙)!!

椅子よ、くるくるまわれ


「私は金庫の中で生まれました。息から生まれた水滴が鉄の内側にはりついても、それが透明だとわかったのは、外の世界を知ってからでした。云々。後藤理絵」名言ですね。(おいおい、自分でいうのか♪)

外の世界を知らないと、内側にずっといてはわかりませんよね。でも、内側でもがけば、鉄の分厚い壁であっても叫び続けるというエネルギーさえあれば誰かが気づいてくれるかもしれない。そして、外側からカギを合わせて開いてくれたら、そこから新しい世界が広がるに違いありません。少なくとも、金庫の中でジッとしているだけでは、金庫の中で生まれたような小さな命であれば、息絶えてしまいます。

そんなわけで、私はまたこの一年をふと振り返らねばならない時がやってきたようです。苦しいと思いながらも、苦しみは楽しさに変えて、充満する二酸化炭素の中に、僅かな酸素を求めて、ようやく辿り着きました。
新しい仕事がやってきます。新しい仕事は不安と希望で点滅します。丁度、暗闇から明るい場所に移動する時、目の前がちかちかするように。

思えば、私の椅子はくるくるまわる。いつも席は安定せず、会社の中ではジプシーです。周りから見れば、なんと扱いにくき者。
しかし、憎まれっ子世にはばかるのです。嫌われていたのではないだろう(と思う)けど、最高責任者の近くに位置しておきながら、自分の意思を曲げず、よくもまぁここまで。自分でもあっぱれです。
だから私の椅子はちゃんと彼の方も向くし、送られてくる想いのこもった原稿にもすべて目を通します。そしてときには傍観しながら、自分の原稿も半年かけてまとめ、本にすることもできました(正確には本にしてくれたすばらしいスタッフに恵まれて)。

くるくると、これからもくるくると良く回ることを、錆びない事を祈って、今日の日記とします。
【写真:インドのハンピ村の日没前の風景】

mardi, septembre 26, 2006

古い友人と未来


古い友人からの連絡。
最近、古い友人の情報が入ってくる事が多くなった。

以前、訃報を告げるために、ネットの検索でこのブログを発見してくれた友人がいた。

去年、小学時代の同級生が、私の勤める出版社で本を作った。詩集にばかり気をとられていた私は知らずにいた。出版され、増刷間もなく、自分の両親と会社の同僚から同時に知らされた。彼は、今、2冊めの本を制作している。昔から絵を書く事が好きな人。それを全うしていることが本当に嬉しい。最近は、立場が逆転(?)して、本を上梓した私のことも、励ましてくれている。
そして昨日、彼を通して、また他の友人と繋がることができた。

ネットは昔の関係まで甦らせてくれる。

彼女の日記。「夢を果たした」ことになっていた私。
さて、果たしてそうなのだろうか。と、自分に問いかける。

だけど、(期待を裏切る訳じゃないけど、)「成功」を手にしたという事実も実感も、本当のところ、覚えが無いんだ(ごめんよ)。
古い友人を裏切らないでいたいのだが、本当に欲しいものは手の届かないところにありそうだ。
そして、また私はソレを遠くに見つめながら、少しでも近くに行きたいと願っている。
これからも、そうなのかな。いつまで続くのかな。

夢が現実になるときは、夢は夢のままではなくなって、現実になったとたんに新たな夢ができるからなの?!
わからないけど、いつまでも追っているような気がしてならない。

夢は常に遠く。現実は、時間が経たないと理解が出来ない。不器用な人間だなぁ。と、不憫に思う今日この頃。
ネットで未来でも占ってみようかと思ってしまう。

写真は、幼なじみのいぬづかさとし(絵)の「0.6のおくりもの」
さて、0.6とは、なんだろう。小数点のつくこの数値はわずか。プレゼントにしては、重い数値です。懐かしくて、あったかい。秋の夜長に開いて欲しい絵本。

dimanche, septembre 24, 2006

まぼろし


  
ひとしきり
みずたまり
こおったひかり
みつけたり

すなのおかわり
ままごとあそび
とんぼの宙返り
ずっとまえの秋

とおい昔の光
あつめたつもり
未来のあかり

いまのほんとは
いつかのまぼろし

vendredi, septembre 22, 2006

【報告】9.21詩と音楽とダンス@アサヒアートスクエア

この公開リハーサルは、興味深い。
出演者側で、メールにて各々が構成を加え、持ち寄ったものに、観客とスタッフがさらにシャッフル。

ダンスと音のコラボ中に、舞台上で詩を書くという作業も公開。
後半も岩渕さんとJOUの舞を横目で見つつ、イマジネーションを言葉に。
これはとても楽しい。多分、まだ谷川さんもやってないだろうと思うんだけど、どうかな。


真酎の音は、バンドネオン、親指ピアノ(カリンバ)、鉄琴、その他・・

JOUの言葉の間の手も、面白いものだったので、次回、真面目にテキストに起こそう!

舞台上で「金魚とお祭り」「つま先の女王」の2作が。直前に「たそがれ色のあさひ」。全部で3作できました。
「ア・ビアント」からは「秋のプール」「ドロップ」「トランジスタ的衝動」「焼き菓子の致死量」を。

課題も多いので、また次回に。(いつのことやらわかりませんが)

  • コミュ書き込み


  • 【出演】JOU(踊り)、松本充明(音楽)、後藤理絵(詩)
       《後半/特別出演:岩渕貞太(踊り)》
    【日時】2006年9月21日(木)
  • Event Cast


  • 9.21情報

  • アサヒアートスクエア《MAP》
  • lundi, septembre 11, 2006

    ...9,10,11 遠い空

    朝のラッシュ
    霧のかかった空の上

    低空飛行で
    このジャングルの
    ゴムの木の幹に突っ込むなんて
    思ってもみなかった
    誰も

    鳥よ
    その使命は
    神から与えられたものなのか?

    人間よ
    愚かな指令は
    遂行する前に
    考えられる動物に
    運良く生まれてきただろう?

    彼は
    遠くの空の下で
    カレンダーを指折り数えていた

    私は
    命の数分の一だけに火を灯して
    遠い心のあの人の帰りを待った

    母の生まれた日
    愛する人の生まれた日

    それを祝っている矢先
    くちばしがのどをつく

    涙で皮膚がこぼれ落ちる
    埃まみれの残暑

    dimanche, septembre 10, 2006

    手当と体温

    憧れの・・象さんとのしばしのコミュニケーション。暖かい。足が乗っている場所は肩甲骨なので、前足が動くときにコツリ、コツリと動く。(ビーチサンダルは脱ぎました。)
    一歩が大きいからゆっくりでもいいのだ。
    途中、森に入ってゴムの木のところで本物のゴムの材料になっている樹液のかたまりで指輪。
    彼の名前はボンジュール(Bonjour)。穏やかに見えて気が短い。
    バナナをプレゼントしている最中に、1つずつあげていたら「はやくぅ」といってカゴごと持っていかれちゃった。すごい力で・・
    出会いの感動、でもさようなら。Bonjourよ、A bientot...(って、へんなの)
    余韻さめやらぬまま、連れていかれました。タイの人たちが勢揃いで、サワディッカー・・笑顔に囲まれる。ここはたぶん、極楽(マッサージの館)。
    ★画像クリックで見やすくなります。

    名残惜しさに海追いし その二

    ピピ島で夢を追いかける人々(大きい人、小さい人)
    魚・・熱帯色なオコゼの仲間?。
    画像クリックで見やすくなります。

    samedi, septembre 09, 2006

    mardi, septembre 05, 2006

    塩と潮( short & short )



    珊瑚が足にキスをしたので
    私の両足にはマークが
    残されている

    潮に浸しっぱなしだったせいで
    陸にあがってからも
    塩を欲している

    だから今日も
    バスには
    シュガーじゃなくてソルト
    真夏のハーブ入り

    青くならない水の底
    指と足首に
    英字表記の瓶の塩が
    ミネラルというから
    なお、むずかゆい

    こげた指先には
    白いビーチサンダルが
    まだ挟まっている

    mardi, août 22, 2006

    なみだ

    苦みの唾液の
    おちる字間

    誰 


    制御
    不能

    ぽたり

    吸い込まれる
    オレンジTシャツ

    dimanche, août 20, 2006

    DES HERBS (de mon jardin)


    この夏、3回目の収穫のバジル。2回目のミント。
    洗って、ただいま乾燥するための第一段階。
    次はネットに入れて本格的な乾燥です。

    まだ、ベランダではコモンタイム(スッキリした甘みを含んだ香り)が増えて来ていて、ローズマリイ(ツンと目が覚めるような香り)も花を咲かせています。けれど、ミントがあまりにつよいせいで、グリークオレガノ(歯の表面に起毛)が消えた・・。(いっしょの長いプランターに寄せ植えしたのがまずかったのなかな。。)ルッコラもすぐに花を咲かせたので、今度は種から育てるとします。

    今日は、ジャスミンの植え替え(これから)、ハーブの収穫。
    猫の毛繕いの手伝い。浴衣の洗濯・・・ほか。
    家は窓を全開にするとエアコンがいらないほど風が通ります。
    ベランダもこの辺にしては少し大きめで良かった。

    花が沢山というのもいいけれど、
    いまはどちらかというと”プチハーブ園”を目標にしています。

    今日は、ミントの葉たちと岩塩を入れてバスタイムを楽しみました。
    (明日の分もあるなぁ。)

    jeudi, août 17, 2006

    8月17日 リーディング【報告】



    原宿JETROBOTでのリーディング。

    ことば パーカッション トランペット ピアノ ウッドベース・・ 
    グラスに入れる氷の音、電車の過ぎる音、雨音と遠雷。
    改札口からすぐの人の足音。そして笑い声と拍手。

    あらゆる音(声)がとけこんだ空気。
    ほんのちょっとの時間の共有。
    ゆっくりと通り過ぎる時間。
    全ての、とおりすぎる、立ち止まらないもの 
    を噛み締めた時間。

    再び会えた人、出会えた人・・
    みなさん、ありがとうございました。

    読んだ詩 
    「夏のおわりに」
    「秋のプール」
    「きみと、宇宙から落とされたぼくと、そして星条旗」
    「焼き菓子の致死量(同時仏語翻訳:Ludovic Xasdera=ルド・グザスデラ)」
    「雪情」

    Mixi Community "A bientot Rie goto"


    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
    ☆2006年08月17日(◆◆「 JET POET Vol.4」 〜即興の音楽と詩の朗読の宴〜)
    原宿JETROBOT
    ※原宿駅/竹下口出て、横断歩道渡って左に、数件先です。 駅から30秒くらいです!

    朗読/ lobby  ZULU  Luca  後藤理絵  ジェフ&エズラ

    演奏/ ひら(Per) 小西 徹郎 (tp) TOMO(psychedeliste)

    samedi, août 12, 2006

    遅咲きハイビスカス



    冬を越し、やっと咲いたハイビスカス。
    1つ目にしては、かなり大輪の花です。
    そこで・・詩集から詩を1つ。





    「きみと、宇宙から落とされたぼくと、
                   そして星条旗」 


    出会ったとき きみは
    歯を磨いていた 口を右に歪ませて

    庭で ガーデニング
    春になるから 古い根をきって
    夏に咲く ハイビスカスの
    ベッドをつくっている
    仕上げに 水を撒く
    「あっ ホースがない」

    (中略)

    『LOVE and PEACE』
    その日から きみのサインの横には
    ラブ と ピース の間に
    十字架の文字が
    書かれるようになった
     

     
    ——— 詩集「ア・ビアント じゃ、またね。」より

    mardi, août 08, 2006

    6/9

    いますぐに、涙は出ない
    遠いその日
    痛みと渇きの中で
    見た事もない
    夏の陽を呑み込むような
    強烈な光の中で
    何万個の影をつくったのか
    わたしは知らない

    いまも毎年、涙を流し
    遠くをみつめて
    苦しみ喘ぐ光景を
    伝えようとする
    思いの火は熱く燃えさかっている
    魂の炎は以来の空をさまよい
    わたしたちに語りかける

    あの、暑すぎる日に
    帰らなければならないとき
    それが訪れてしまったとき
    きみたちは いったい
    どうするのかと
    問いつめてくる

    のうのうとした天日
    ビキニの試着
    ひからびた孤独
    ビールの空き缶


    近隣から投じられている
    この夏の陽をはるかに超える
    得体の知れない戦士が送り込まれる速報にも
    わたしたちは少々、麻痺してきている

    目の前で痛みを、渇きを、
    満たしてあげられないまま
    名前だけを何度も
    叫び続けるだけ、の光景を
    わたしたちは、想像ができないでいる

    アスファルトのこの黒い道が
    陽にフニャリと溶ける時間帯
    爛れた影で敷き詰められた
    巨大な川に見えてくる目玉を
    わたしたちは、持っていない

    どんなに
    世界が近くなろうとも
    地に撒かれた課題は
    これっぽっちも、変わってはいないというのに

    いま、わたしになにができるのだろう
    あす、わたしになにができるのだろう

    ありきたりの、自分への問いに
    顎が痒い、と掻いたら
    すぐに、痛みに変わった

    lundi, août 07, 2006

    波のマニマニ

    それはきっと、3つ数えるとうまくいく

    ほっぺたの真ん中
    えくぼに中指をあてて
    空に向かって、数えてみよう

    夕暮れに浴衣姿
    左肩の金魚のもようが目印
    水の波紋は
    赤い尾ひれにからまっている
    消えないうちに、飛び上がってみよう
    いちにの、さんで漕ぐように

    「あっ、サーフボードには鼻緒を!」

    地平線をせり上げて
    大波はもうすぐ
    追い風と一緒にやってくる


    ーーーー

    昼過ぎ、ひさしぶりにMと少しだけ話をしていた。先日の出版記念パーティーのことを「とてもいい雰囲気で素敵だった」といってくれた。参加してくれていた友人たちを褒められ、とてもうれしく思っていた。

    19時頃。同僚の(いつもは別のビルなのでなかなか会わない)Sが久しぶりに顔を出した、と思ったら「マチューさんにたった今そこで会いました!」との報告。メールを入れてみた。「来週、もしかしてリーディングをする」話を直接しようかと「一緒にかえりましょっ」とメール。なんと、JOUも一緒♪ しばし、お茶と歓談。
    JOUとは、同年代。ちょっと"いいもの"を、つくれたらいいと思う。2人には出版記念パーティーでご協力賜ったので、昼過ぎのMとの話をしたばかりで会えるなんて、なんだかまたしても「ア・ビアント効果」か?と、吹聴してしまいそうだった。JOUからの提案。
    9月が楽しみだ。ちょっとした面白い事をやってみたい。久しぶりに企画魂が揺さぶられる。
    今日は、そういった波と、昨日見た映画ビックウェンズデーと夏にかけて一つ。

    あらためて、以前のシナリオを書いていた頃の引き出しを整理してみようと心に誓う夜。

    dimanche, août 06, 2006

    小説家の妻を持った俳優/ある詩人の話


    昨夜、シネフィルイマジカ(スカパー)で”赤いアモーレ”を鑑賞。ペネロペと共に、主役でありながら脚本、監督をこなすセルジオ・カステリット。なかなか興味深い表情で、余分な事はしない俳優としての良い仕事をしている。セルジオの妻で作家であるマルガレート・マッツァンティーニの作品、イタリアのベストセラー小説『動かないで』が原作であることを、見た後に知った。
    衝撃的であり、正直こんな物語には嫌悪感さえある。けれど、役者のエネルギーと監督のセンスによって見事にストーリーを描いている。
    カステリットも、マッツァンティーニも恵まれた環境でこれを発表する事が出来たのだと思う。
    実際にスペイン人のペネロペを起用したことは、イタリア語をマスターしたという話題性もあっただろう。そうでなくとも彼女を起用するということは困難だったろうと思う。様々な良い出会いが作用して生まれた作品らしく、賞賛も多かった。邦題こそ滑稽で、今ひとつ見る気を失っていたが、久しぶりのイタリア映画のヒット。満喫した。

    今日は、ドイツ文化センターにて谷川俊太郎氏の話を聞きに行った。詩人の、それ以前に人としての興味もあり、参加。(http://www.pub.co.jp/school/coza/poem6.html)彼も恵まれた境遇の人物だ。なにより三好達治の推薦があって詩壇の世界に導かれたということ。彼に浴びせられる沢山の質問。それは、本当の質問ではなかったように思う。意地悪な質問には、意地悪になってみることも大事。彼の詩を彼が読んでみたとき、その温度は詩の温度を保って発せられた。それが何よりも衝撃であった。
    私の父(元国語の教師)は、谷川さんに興味がない。けれど私はそうでもない。熱狂的なファンにはなり得ないと思うが、詩の持っている温度がわかるとき、その詩の向こう側にある谷川さんが好きになる。ときどきだ。それでいいと思っている。
    幼いとき、中原中也の詩に大きな衝撃を受けた。萩原朔太郎の言葉に、人生にはとてつもない深い悲しみがあるのだと気づかされた。
    孤独であることを共感する言葉たち。今日、谷川さんは「一人っ子で、孤独になれている」と言っている。

    話は飛ぶが、彼は今日昼が良いと言っていた。私も太陽が好きだ。きれいに出ている月には祈りたい気持ちになるが、いつまでも陽の下で解放されていたいと願うし、夏にはスイカが食べられてなおうれしい。音楽も芸術もラテンの力には時々グイッと引っ張られる。

    たとえ、世界の何処かで争いがあったとしても、太陽の下、みんな同じように陽の光を浴びて、みんなが笑顔一杯で、
    そうしていつまでも平和が続くようにと願っていたい。願い続けたい。

    samedi, août 05, 2006

    本から飛びだすタマシイ


    ある絵本作家の訃報に同僚たちの胸一杯になる行動。25歳の若き作家がその生涯を閉じたという事実。彼女の残してくれたものの大きさをどうして今まで理解できなかったのかと会社の告知が流れる。大きさに、誰もが最初から気づく事なんて出来ない。絵も文も、作家である彼女が知っている大きさよりも、はるかに大きく育っているに違いないからだ。20冊以上を生みだした彼女のエネルギーは、病床の中から筆先に力を降り注いで送り込まれた「生きた」キャラクターだ。生きている。彼らは生きているのだ。どうして今まで気づかなかったか、ということも、なんだか切ない告知ではあったし、その社員代表の言葉はとても誠実で、一つ一つ読んでかみしめた。
    けれど、私は彼女が生かしている今ここに残ったものには魂が吹き込まれているとちょっと引いた位置から感じている。本から抜け出て、子供たちの笑顔を呼び起こすためのハッピーな絵本は、彼女そのものなんだろう。彼女は、全てをわかっていて一生懸命に描いた夢だった、と考える。作者は、そんな本から魂をもって飛びたつ新しい出会いを期待しているに違いない。だから、わたしもがんばらなくては。。そう、心の中で誓う。この、わたしが作った本もきっと、いつかそんなふうに新しい人とであって、その人の中で生きる魂になって欲しい、と祈ってみる。

    jeudi, août 03, 2006

    Je mal a la tete...=J'en ai marre...

    「頭イタい事があったら、ほんとに頭イタくなったよー」と、後ろの席の I さん。
    こめかみに手を当ててぐりぐり。
    実は、私もこのところとても頭が痛いのよ。
    ま、病気と言ってしまえばそれまでかな。
    頭に集まっている三官の神経の集まる周辺を流れの悪くなっている血管が圧迫しているらしい。もう、何年くらいこんな痛みを抱えているのだろう。確か5年か6年。病気だとわからずに日夜眠れずに過ごした日々とは違って、マッサージすれば多少楽になる事がわかったので「癲癇用の薬(テグレトール)」なんていう副作用のある憂鬱になる薬とは、当時以来さっさとおさらばした。
    医者の薬は、もともと信じてはいないし、精神的に参ったとか、鬱だとか言われても、それを疑うだろうと思う。(実際にそんなゴミ箱診断をされなくて良かった。)
    それでも、友人の言葉は信じる。
    私はもともとカウンセラーであったという信頼できる友人がいて、とてもラッキーだった。
    彼女の言葉をずっと信じたまま、自分を信じる事ができた。
    「言葉の力はすごいんだ」と実感した4年前。それからの私は、言葉を満喫していた。ついに本まで作るに至った。
    頭イタいことが、本当の頭痛を呼ぶ事があるなら、言葉を信じて自分を信じてなおる、なんて事も起こるのだというのが、私の自分に対する「診断」だった。
    それを本当に実行する私は、最後の底力がとっても馬鹿力だったのだと今にして思う。
    本当に精神的にひどかったとき何をしたか・・・私は、それまで働いたお金を「フランス語学留学」に費やした。

    今日、会社の友人と昼ご飯にて「自分に絡まりついてくる嫌なツタを払うためにどうするか」(実際にこんな事は言ってないがそんな感じのこと)を何となく話していた。嫌な事は嫌なモノを呼んできて、一気に悪い事が起こったりする。
    では「良い事」を考えれば、良いモノが集まってくるのではないだろうか?
    心理的なコントロールが出来るようになった人は、他人まで操作しようとする。けれど、それに巻き込まれないように気をつけるんだKちゃん。そしてあなたも”センターコア”な存在である事を忘れちゃダメよ。

    ツタは、呼吸できる酸素を運んでくれるもの以外は、絡ませてはだめ。
    ましてや、頭に巻き付こうとしているツタなんて、自分の意志で巻かないとイタくなっちゃうよねー・・でしょ?

    mardi, août 01, 2006

    神楽坂祭りと焼き肉とベランダ

    先週末は、神楽坂でお祭りがありました。
    今年、新調したゆかたは着られず、ダッシュで神楽坂に向かうと、友人たちがすでに毘沙門の近くまで。
    急いで夕飯に向かう。もちろん、我が家へ。メニューは焼き肉です。
    あこがれの「ベランダでのバーベキュー」にはならず、キッチンでいつものダイニングテーブルをちょっと大きめにスタンバイ。ま、これでもいいです。大勢で食べる焼き肉はうまかったっす!
    相変わらず才能ある手さばきにて8ちゃんが〜大活躍です。(助かります・・しかし、ウチにきていきなり包丁研ぐという姿は見たくなかったぞ)確かにウチには包丁が豊富。でも、切れるのは普段使う一本きり。
    と、いうわけで、アイスまで食べ尽くして満足。こんどはベランダでスイカを・・
    ひとときを過ごすと、なぜか真夜中にガーデニングが始まってしまった。と、いうのは、バジルがごっそり生えまくっていたので、株分けをしようと・・いうワケ?!
    みんなの団らんの図を横目に、土いじりとかしているわたし。変な家庭です。よそから丸見えの位置のベランダで。。
    それでも、とっても楽しかったですー♪ みんな来てくれてありがとう! 真菜が置いていった五十番の純正肉まんは、日曜に美味しく頂きました。(こんどお宅におみやげは、これできまりね)

    dimanche, juillet 30, 2006

    うれしいよ=Mes amies

    お芝居を見に行きました。古くから、互いの甘えに本気で叱って、本当の悲しみを分かち合うことの出来る人。
    彼女の名前は滝沢涼子。最近はヨリモのCMなどでタレントマネージャー遍に出演していて、顔を見ればすぐにわかる人もいるだろう。
    私たちは姉妹のようで、戦友のようでもあった。言いたい事を言い合い、映画や俳優としての討論をし、悔し涙さえ分かち合った。
    某養成所では、講師が私たちをライバル視させようと、別々に呼び出し競争させた。その意味も今では良くわかる。以来、講師の策略とは裏腹に仲良くなってしまったのだった。強く、優しい女優になって、いつも応援している人だ。

    遠くから、声がする。
    間違えたことをしそうになると、あの、悔しくて、苦い涙を思い出す。悔しいのは、自分ではどうにも出来ない大きなものと闘えるほどの力が無いからだった。つい最近まで、目の前にあった気がするその大きな、もの。しかし、今はどうでも良くなった。大きなものと闘わなくても良くなった。彼女も、同じだろうか。もしかしたら、今もそのような事があるのだろうか。彼女の顔にうっすらと感じる影にこっそりと、心配をする。

    明日、大学時代の友人に会う。彼女は大阪にいる。今回は帰省で横浜に。彼女はモデルだった。とても背が高く、内面とともに美しい。会えることが、なかなか出来ないけれど、それでもいつも心配をしてくれている姉のような存在。彼女は、強くさらに優しい二児の母親になっている。

    今月中に、小さな会食を約束をしている古くからの友人。彼女は、去年のクリスマスに結婚式をカナダで挙げた。カナダに実家のある旦那さん。要するに、いつか、近くにいなくなってしまう可能性が高い、彼女。フランス語を、さらに好きになれたきっかけをくれた人。
    素敵な笑顔の可愛い異星人。

    出会いは、出会いを呼んで、私は沢山の友人に囲まれていて、それを幸せに感じ、たくさんの素敵な人たちを自慢したい気持ちになっている。

    今年は、自分の今までと向き合うという大きなきっかけをくれた人にも出会えた。そして今までに無い経験が出来た(本のことだけど)。


    出会った時のことを忘れずに、いつも大切にできるように。
    そして だからこそ、自分も大切にできるように。

    mercredi, juillet 26, 2006

    Vivre sa vie それが、人生

    ジャン・リュック・ゴダールの映画は、高校生の頃に出会った。
    私にとって彼は監督のなかでも別格で、お洒落だとかそういった事とは無縁の、どちらかというと無茶苦茶な衝撃を残した。
    小学生の頃から映画には慣らされて(父の影響で)いたこともあり、アンジェイ・ワイダにハマった事もある。「灰とダイヤモンド」ポーランドの歴史の、戦争の影にこんな友情と愛、そして人の生き様、死に方があったのかと。しかし、成長とともに戦争を描いた物語には一種の苦手意識が混在してきて、以降は好んで見ようとしなかった。一方、ゴダールは、いつでも見られた。いまでも、あきもせず何回も見ている。その度ごとに、その愉しみが変わる。興味は、少ない男女の会話だったり、そのとんでもない長回しの空間と間。逆にテンポの良い会話で相手に言葉のシャワーを。。会話の無意味さも味わえる。

    自分の将来のことを夢見続ける日々は続く。
    一時は、映画に関わる「仕事」しか考えていなかった。
    同じ頃、もちろん読書にも夢中になった。そんななかでの衝撃は、中原中也の詩集(古い母の書棚から)と、学校の図書館で次々に借りたのが向田邦子の脚本シリーズ。(向田邦子に一種の憧れを抱きつつ脚本家になることを真剣に考えていた矢先に彼女は飛行機事故で亡くなってしまって、新作が読めない事を日本中のファンの人はなんと嘆いた事だろう。。その、一人が中学生の私だった。作家は飛行機事故なんかで死ぬはずが無いと思い込んでいた。)
    詩の、簡潔な言葉の描く情景は、さまざまな想像、頭の中だけの情景。
    すごいスピードで駆け抜けていくくせに、後から断片的にモザイクを残す。
    好きな世界だった。その世界に浸っているのが好きだった。絵にも、唄にも変わるのだから。
    シナリオは、人の人生を想像するための言葉を探していく作業。大学時代にこっそりシナリオセンターに通っていた。苦労しながら愉しい日々を過ごしていた。のちの、演技をすることにとても役立っていたように思う。単に「想像する」、「創造する」を楽しく感じていただけなのかもしれない。そして、興味を寄せていたほとんどが映像とそこに飛び交う言葉だったように思う。


    ゴダールの最も好きな映画は「女は女である」、「アルファヴィル」。(この2本はゴダール食わず嫌いの人にもぜひおすすめしたい。)それから、「女と男のいる舗道(原題:Vivre sa vie )」。それぞれに、アンナ・カリーナが登場する。
    今回の詩集「ア・ビアント じゃ、またね。」の第一番目の詩は、彼女に捧げたオマージュです。(一度、夕張映画祭で彼女に出会ったことがあるがそのときは一生に一度しか無いだろうと、片言のフランス語を懸命に話した。)彼女は、映画から想像もできないほど歳を重ねていたが、その姿は凛とクールに輝いていた。詩の最後の一節「・・落ちていくAnna」というのは、Annaが落ちていくのではない。むしろ、Annaに、落ちていく。か、または最後はつい放った彼女への呼びかけ。そして、それを知ってか、知らずか、担当の編集者はリリースの一言を【「女と男のいる舗道」を見ているような・・・】などと記載していた。彼の子は、なんと私と同じ誕生日のほぼ同じ時間に、この世に誕生してしまったし、この映画のタイトルを出してくるということも、また妙だった。

    話はそれるが、一方の担当のプロデューサーは、(アンナ・カリーナのように)前髪を切った夢を見たという話。彼女は長い黒髪。「そんなことしたらもったいないのに」と思うほど、良く似合っている。過去に前髪を切った髪型だったらしいことを今日知って、また不思議な感覚を得た。前髪の夢の理由はわからない。(・・にしても、「前髪」という言葉は「顔に髪がかかる程度」までしか使わない気がする。顎くらいまでの長さ、かな?・・これもまた不思議だなどと考えながら聞いていた。)

    そうやって人生は、不可思議だらけ。
    いま、目の前で、バラバラになったジグソーパズルが一つ、一つと見えてきた景色の一部。
    けれども、夜見る夢も解明できるわけもないし、自分の詩集を推定不可能な幻想に縁取られていることもあるだろうし。。
    本を作ってくれた人の娘が、予定日から早まってお父さんの作った本の作者と同じ日に誕生してしまうことや、辛いものが苦手なのにインドに行くことになってみたり、ね。
    そう、やっぱり人生は、不可思議だらけ。
    詩人、谷川俊太郎も「詩ってなんだろう」(それを詩の歴史で繙く本なのに)の本の最後にこう締めくくっている。
    「詩がなんなのか、うまく答えられた人は誰もいない」
    なら、人生がナンなのか、こんな私には まだまだ わかるはずもない。ということだね。。。。

    mardi, juillet 25, 2006

    きっと、いつか晴れる。

    なんだか浮かない気持ちで、仕事を片付ける。
    これも、じめじめが続いているから?
    週末に少し先の未来までのお別れをしたから?
    なんだか、違う気がする。
    仕事にもっとやりがいを感じていたいという欲望。
    そして仕事は幾つか同時に進行させていて、ひとつではないという焦燥。

    Ludo et Valerie からもらった(彼らの東京の思い出の沢山詰まった)まっ赤なソファーに腰をかけて、こうしてモニターに向かうと、画面の向こう側の光だけが私を診断しているかのようにまぶしい、まるで眼科の先生が光を目に向けているようにまぶたを閉じたくなる。

    晴れないから、庭のハイビスカスが気になって仕方ないし、ハーブの寄せ植えが込んでいることも気になって、土が濡れていて気持ちよく触る気になれない。土の中には、とんでもない生き物が活動しているようで(実際には見えない虫がたくさんいるだろうよ)、水を含むととたんに気持ちが悪くなる。

    掃除は、完璧にやりたい主義なのに、猫がこの頃苛立っているようで、今までしたこともないところで失尿。わざととしか思えない場所に。仕方なく、お別れする敷物や洋服。ロイはいつもいい子なのに、どうかしている。
    この時期の洗濯物を室内で干すと、3回くらい洗わない落ちないとおもえるような異臭を放つことがある。それが、綺麗好きのロイには堪らないのだろうか。それとも、畳のい草の香りが湿気を含むと、猫の尿に似た匂いがして敵対心からなのか、それはわからない。
    憎らしいこの黒い猫も、しばらくしてソファの上で丸くなってこちらを見つめると、その赤色が良く似合って、結局は怒るのも中途でその毛を撫でたりつまんだりしてしまう。
    そうしているうちに、明日は雨が降らない予感がして、心地よく眠れそうな気がしてくる。
    仕事への焦燥は、いつしか頭の中で組み立てられ、ひとつひとつをクリアーして行ける気もしてくる。
    晴れ。誕生日の頃は、じめじめしていた記憶が無かった。私はいつも、夏の日差しの傷みを感じていたい。
    キューバ、ベトナム、カンボジア・・もっともっと、暑い日差しを感じていたい。

    samedi, juillet 22, 2006

    「さようなら」と言わないで=A bientot !
















    こんな日が、いつかは来る・・・そんな予感がして、私は詩集を制作しました。今まであった人たちに、感謝の気持ちと、私の出会った大好きな人同士が出会ってくれるような場所と話題を提供したかった。それに、参加してくれた人たちに感謝の気持ちが絶えません。

    いつのまにか、外国の友達も沢山出来ました。そして、外国の人と結婚している人も数人います。彼らは、いつか何処か別の場所に引っ越してしまうかもしれなくて。そうではなくて、いつもそこにいるはずの、近所にいる人も、何処かに・・・知らないうちに引っ越していて、会えなくなってしまう事もあるかもしれない。
    それが、とても悲しいけれど、地球の何処かで、元気でいて、素敵な笑顔を輝かせてくれていたらうれしい。
    私はいつしか、とても大きなものに支えられている。なんだか、そんな気さえしてくる夜です。
    今朝、彼と彼女と日本で生まれたちいさな人たちは母国へ、旅立ちました。
    ちかいうちに、また会えますように。
    そんな、祈りを込めて、小さな約束をしよう!
    A Bientot. Ludo et Valerie (On peut se voir a tres bientot♪)

    mardi, juillet 18, 2006

    花と空間の鼓動=2006.7.14




    7月14日金曜日夜、Pハウスに足を運んでくださった皆さま、ありがとうございました。
    私のとても大好きなアーティストたちがそれぞれの力を持ち寄って素敵な会場にしてくれたことに大いに感謝しております。
    Pハウスの白い壁、ルドの絵が飾られ、濱中直樹ライト、松本充明バンドネオン、JOUダンス、松尾邦彦映像。
    素敵な仲間たちに囲まれ、昔からの友人たちに見守られ、本になったテキストのリーディング。幸せをかみしめながら読ませて頂きました。また、この本から抜粋して読んで欲しいと思っていた人たちが快く受け入れてくれたリーディングは、それぞれの声による新たな世界を、詩の可能性を示してくれて本当に素敵でした。また、飛び入りで選んで読んでくれていた詩も、それぞれの解釈を発見できて勉強になりました。また、いつかこんな機会が持てたらいいなと、本当に思っています。
    予想以上にみなさんに来ていただいたので、ごあいさつままならなかった方もいらっしゃって失礼したかと思います。開場しきりもままならず、協力していただいた方には本当に感謝しています。

    そして、来てくださった皆さまに頂いた花に囲まれ、今夜もしあわせの余韻から醒めずさまざまなお花の香りにまどろみながら眠りにつこうと思います。
    それぞれが持ち寄ってくださったイメージしてくださったお花。
    それぞれがイメージしてくれた言葉の解釈と世界。
    それらが私の中心にわっと飛び込んできて、また新たな酸素を運んでくれます。

    ありがとう。
    出会いに、感謝。
    少し先にまた、みんなに会える楽しみが出来ました。
    帰り道に読んでいただけたかしら?!
    あるいはお家のトイレのなかに置いて、ときどき開いていただけると光栄です。
    (忌憚なき感想も寄せてくださいね。)

    A bientot Rie


    Taro NISHIMOTO’s blog 
  • http://taro.readymade.jp/blog/archives/001526.html

  • 柴田瞳's blog
  • マヨネーズ革命
  • dimanche, juillet 09, 2006

    光・絵・音・映像、そして言葉のコラボ


    7月14日は、フランスにとってとても大切な日。(今日は、ジダンにとっても大切な日ですが)
    私にとってこの日は、この世に生を受けたというもっとも重要な日です。それは、母がお腹を痛めた事を想いながら、ありがとうと感謝しなければならない日。その日を目指して、このたび本が誕生します。その誕生日は、私が希望し、本を企画してくれた人と決めた予定日でした。半年前から順調(?)に夏に向かい、徐々にその姿を現したこの本は、実際、かなりの素敵さでおどろきました。

    そして、六本木にて、日頃お世話になった方々や友人、縁あって一緒に仕事をしてきた人に感謝の気持ちも込めて集まる機会を設けました。ばたばたで、何も特別なものは用意できないのですが、私の好きな、素敵な人たちと一緒に14日のひとときを過ごしたいと考えています。

    ライト・インスタレーション (濱中直樹)
    絵(Ludovic Xasdera=ルド・グザスデラ)
    バンドネオン        (松本充明)
    映像/DJ (松尾邦彦)

    そこに、友人たちに詩を読んでもらいます。
    自分以外の人が読んでくれるのは、本当にうれしいです。
    一人で読んでいるときはわからない発見がありそうです。
    そして、思い思いの感覚を現してくれる予感です。わくわくします。
    素敵な夜になる予感です♪
    みなさま、ぜひ、お越し下さい。
    (いらっしゃれる方は、Gmailにてお送りください。)

    なお、このパーティーに協力してくれた友人のアーティスト、
    場所を提供してくれた古くからの知人、手伝ってくれた友人たちに
    深く感謝します。ほんとうに ありがとう。
    ここからまた新たにスタートできる気がしています。

    samedi, juin 17, 2006

    深く透明なみどり


    とある書店のレジ前で
    本に睫毛を落とす彼女

    この夏生まれる本に時々
    頬づえをついては
    色濃いページに落ちた
    木漏れ日を見つめ
    言葉をあつめた

    迷彩色のTシャツには
    恐竜のマニキュア
    星たちが作った冠は
    少しゆるめで髪を滑る

    身を木陰に傾けて
    たまごの殻に似た白い指先
    葉っぱの落とす光の滴を
    拾ってその本の間の
    栞にしよう

    黒き髪の後れ毛に
    一つだけの黒い星も
    涼やかに
    襟元を開放して
    遊ばせてくれるのは
    潤い渡る透明な風

    Pour Mlle K. N 2006.6.17 sat.

    samedi, juin 10, 2006

    メロン/キックオフ

    メロンが届いた。甘ーい!美味しくいただきました。
    (おかあさまありがとう。)
    キックオフ。。パラグアイの不運とプレッシャー。彼らの気持ちと裏腹にのんびりとTVからの中継の音と温度に夏を感じずにはいられない。気持ちよい季節。

    先日行った、神楽坂毘沙門天の裏にあるレストランで、エスカルゴとつぼ焼きシチュー、その他を注文。とてもとても美味しかった。隣はザクロトニック。夏の栄養はいろんなところにある。大好きな、真夏がやってくる!

    mercredi, juin 07, 2006

    C4I+datamatics/池田亮司

    もう随分前にダムタイプ(Dumb Type)を見た以来。ダムタイプのときもいいが、今回の前半C4I が特に良かった。メッセージ性が高いのだが、音と映像の錯乱を程よく演出していてバランスが良い。なんと表現したらいいかわからないけど、とにかく刺激を受けた。完成度、音の広がりと捉まえたモチーフのループとバランス、映像の中で一番気に入ったのはそのモチーフの「規模」の違い。左右不対象の言葉。それらと音との繋げ方が違和感なく、好みの賛否よりやはり仕事の仕方や姿勢が整っている気持ちよさを感じる事ができた。確実に自分が必要とされている場面があるのだという確信のもとにこなしている。出来る事を出来る限りやるという仕事。それでもなにやら楽しそうだ。自分にしか出来ない事?それを見つけるのに誰もが苦労するところ。まずは身近なところから。。

    とても古い話だが、以前、私が参加したアルバム(Visions Of Divas・スパイラルレーベル)のときにお世話になった。私は当時、詞を書き唄った。そのときはミキサーに向かいつつ、寡黙に音と向き合っていた。一見、文学青年のような神経質さと冷静さを兼ね備えた出で立ちで、訳ありのカッコいいお兄さん(?!)みたいだったが、いまや世界のRyoji Ikedaだ。
    スパイラルでは当時、いろんなアーティストが出入りし、一緒に仕事をさせてもらったのがCo-FusionのWADA&TANI。みんな、世界で活躍している人だし、同じアルバムに参加していたボーカルの中には今 J-WAVE で活躍しているDJリーソルもいる。今考えると不思議だがそのアルバムには様々な人が関わっていた。
    自分なりのペースで、全く違うメディアだが、いま本を制作する。そこで関わった音楽の関係者とはまた違う、本が好きで、そして本を作ることにエネルギーを注いでいる人たちに囲まれて、今週から来週までに仕上げて最後の入校に。
    いま出来る事の出来る限りを、楽しみながらやりたいものだ。

    イッセー尾形の佇まい

    役者という言葉がとても似合う人。随分前になるが「それから」という映画を公開当時に見に行った記憶が蘇る。その時、そば屋かどこかで主役の後ろで一人で芝居をしていた。それが妙に頭にこびりついていた。6年前、NYに行ったときに仲間と行った文化センターにて「一人芝居」を連続で見た。その中にイッセー尾形のパフォーマンスがあった。
    以前から気になっていた映画「トニー滝谷」を見る。静かな、涼しげな映画。人の悲しみ、寂しさ。儚さ。美しさ。
    演出も、カメラワークも様々な工夫が見られた。一番はやはりキャスティングにあると思う。あの役柄は不思議な存在だし、若いときから今までをずっと同じ人物が通して出ることに違和感を感じないで見せる。
    恐るべしイッセー尾形。若い役でも、全く違和感がなかった。宮沢りえとの歳の差も、設定通りに見えた。実際はもっともっと離れているはずなのに。。しかも、カッコいい。特に魅力的な人物ではないし、どちらかと言うと格好悪い役で、四角四面の面白みのない人物設定。芝居をやりすぎる事もなく、押さえたところが洗練されたセンスを感じた。色気がある年齢の重ね方。
    役者と、その佇まいには、その人自身の素の歴史が見える。苦労をしたかもしれないたくさんの皺さえも美しく見えてしまった。

    dimanche, juin 04, 2006

    夏。準備中。。


    土曜日の午後・・発売された「0時に 教室で」を編集者からようやくもらえて嬉しくて自宅に持って帰り週末ゆっくりと読む。制作に加わった作品だが、この作品は審査のときに出会って、最後のほうで上位に食い込んだ作品だから思い入れがある。
    最初から写真のコラボということが企画意図としてあがっていたので、候補の写真家を選んだり細かいディレクションを入れた作品。ようやくあがって来た頃は、ばたばたしていたので、ゆっくりとページをめくる機会を待っていた。やっぱり最後の「屋上」が大好きだ!ふっと自分の昔と今を重ねる事ができるような気持ちになる。それは、著者の意図かどうかわからないが、蝉の命と自分の明日と環境と、全ての融合が空に向かっていく、そんな結末に感じる。詩は行間を読者にゆだねてくれるものでもある。そこが好きだ。そしてこの作品と、この著者に会えたことが嬉しい。一緒に制作した編集者と若手写真家とデザイナーという環境にも恵まれて生まれた作品だと思う。
    この作品と「キミが泣いたらシャンデリア」は、力作だし、若い詩人たちが心を注いでいるその誠実さを形にするという仕事に生き甲斐を感じ。使命感に燃えて作った。そして、彼女らに私も支えられていると思っている。とにかく、出会えて良かった。




    日曜日。Yukiと久しぶりに”女の子同士の買い物”♪
    神楽坂突然、店の表にかかっていた浴衣を発見。
    神楽坂途中にある着物のお店に。。鏡前でいくつかの浴衣を合わせる。
    好きな色を選んでみた。。が、結局、安くて一番鮮やかなものを購入。こういうものは、女の子に選んでもらったほうがいいね。
    けど、二人とも随分と優柔不断になりながら、いろいろと考えていたため、どっと疲れてしまった〜
    普段きないものを選ぶ楽しさと感覚の曖昧さ。しかも、浴衣って、普段あまりに縁がなさ過ぎる。考えてみるとお祭りとか、旅館でしか袖を通さない。しかも自分のモノに袖を通す機会は前者のみ。水着を選ぶときも同じ。Yukiが「周りの人のために着る」という言葉を言っていたけど、確かにそうだね。そこんところで最終的には鮮やかな紫色を。写真より実際ほんとに鮮やかです。

    夏の風物詩。浴衣に風鈴(これが金魚の形で音もいい!かわいいんだよね〜〜金魚の中にまた小さな金魚がいるの♪)。なるほど粋な買い物です。しかも、購入は神楽坂で!風情がありますねぇ。街並も。コーヒー屋さんもお洒落だったけど、その後は五十番の肉まんをぺろり。古くからの料亭旅館の路地を肉まん片手に歩きましたっ。途中、黒猫くんに会いました。日曜の楽しい午後。
    夜は映画「トニー滝谷」「モンスター」の2本立てを、例によってスカパーで満喫!

    mercredi, mai 31, 2006

    猫ばなし
















    日曜日のサイクリングで、後楽園ラクーアにあるヴィレッジヴァンガードにて購入の本は二冊。
    一冊はこれ「ヨーロッパを旅してしまった猫のはなし」(平松謙三著)。ほんとは擬音語擬態語辞書があったので購入したかったのだが、あまりに魅力的で(しかも三冊はどうか?と考えて、ツイこちらを)買ってしまった。
    もう一冊は、「インド夜想曲」(アントニオ・ダブッキ著)以前読んだ事があるのだが、インドも行った事だし、しばらく前からKuniさんがずっとお探しだった本でもあり、また読んでもいいなーと(なぜかあの店ではすぐに見つかったのに驚いて)思わず購入。

    黒猫が、ヨーロッパを、というところに大いにツボな訳で・・そして、黒猫の名前が「ノロ」(ノロの日記=http://www.hortensia-azul.com/news.php3)だったことも(ウチの猫がロイ)その写真の愛くるしさと、拾い読みすると行動が似ていることが因果で即買いが決定。(嗚呼、黒猫になんと弱い者なのだろう!)

    これがまた、読むとおもしろいおもしろい。すぐに読めて、しかも、装丁、中身のバランスや著者の感覚・・なかなかお洒落である。まず主人とその奥さんがなかなか好感が持てるし、猫の写真もアングルを含めて上手で面白い。さらに、内容も淡々としつつ、旅に関する情報と、ペット事情の差まで記載している。日本のホテルでペットを持ち込むことが禁じられているところがほとんどだけれど、ヨーロッパのホテルはどこもわりと簡単に受け入れてくれる。しかも、そのとき支払うのは人間のおとまり料金プラス約5ユーロという設定で絶妙(遠慮しないで堂々とペットとともにいられてその上安い)らしい!すごくうらやましいたびだと思った。

    だけど、実際にまねをするかどうか・・と言えば、ウチの黒猫さんはとてもお年をとっている。今年で14歳になるんだった。そんな無理はできないだろう。
    大きく違うのは、ノロは1歳、ロイは14歳という点だった。